銀座のトリル 03-3572-8228

Author: もあママ

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熱海にて

秋も深まり夜寒を覚える季節になりました。5月に登ったまだ積雪の旭岳が紅葉狩りで賑わっている様子をニュースが伝えていて、日本らしい美しい景色と懐かしさに思わず見入ってしまいました。皆様いかがお過ごしですか。

今週の金曜日は3回目の化学療法です。2回目が終わりホッとしたのも束の間で、3週間はあっという間に過ぎていきます。聞くところによると副作用は人それぞれで、重くて寝込んでしまう人や殆ど症状が出ない人もいるようです。私は辛い時期もこれ位なら軽い方だと思い込んで過ごす事にしていて、単細胞にはこの勝手な思い込みがとても効果的だと感じています。癌に罹患してから私はネット上の癌関連を一切シャットアウト、どうしても知りたい情報だけ、主治医と身内のネットのプロを頼ることにしています。人は人、私は私。

知らぬが仏です。😽

昨夜、マスターが自宅まで来てくれました。書類を持って何度も来てくれているのに都合が合わず家族任せで、私がマスターに会うのは開腹手術以来3か月ぶりでした。マスターから店舗に関する報告を一通り受けた後、話題は私の病状へと移りました。マスターは癌は、というか抗がん剤治療は昔テレビドラマで見た様な洗面器を抱えて嘔吐したり、鏡の前で髪に触るとバサっと脱けたり、痩せ細って青白い顔といったイメージをしていたのだそうです。私も抗がん剤って皆んなそうなるんだと思っていました。ところが目の前の私はスタスタ歩きケラケラ笑い、「優秀なのよ、最近の吐き気止めって。全然吐き気しないの。それどころか浮腫もあるし、何とかって点滴の成分で食欲が半端なくて太ったわ。今のところ、眉毛もまつ毛も抜けていないしね。」なんて言う。癌患者らしくない癌患者で拍子抜けしたのか、それとも心配を掛けまいと頑張っている風に思ったのか、何故かマスターは私が何か喋る度に段々深く俯向き目を合わせなくなりました。

「あのね、癌になってから1度だけ落ち込んだんだけどね。あれ以来は1度も落ち込んでないのよ。強がりで言ってるんじゃなくて。」

「そうなんですか。自分だったら鬱になってます。」

「癌の事は考えない事にしてるのよ。治療はプロに頑張ってもらって私は体調管理だけ。毎日面白いことを探して笑う様にしてる。」

「そうですか。自分だったら・・・。」

「副作用が楽になったら2泊でプチ旅行してるのよ。頑張ったご褒美っていうか、励みにね。」

ほんと久し振りに色々話して、「じゃもうそろそろ。」って言って立ち上がったら、マスターが、「寂しいです。」ってポツリ。

「は?」

「お店で1人、誰か来てくれないかなぁ〜って待って・・・」

「チャンスよ、マスター。新曲作りなさい!」

くらくらくらくら、暗っ!!😆

化学療法室にて

連日の暑さに嫌気がさしていた毎日にやっと終わりが見えてきました。昨日や去年と比べて今日の温度はどうか、そんな事ばかり言っていた様な気がします。時々、四季の順番が変わったらどうなるのかな?春秋夏冬だとしたら目に映るもの全てが変わるんだろうかと思う事があります。今だになぜなに学習図鑑の私です。

皆様、お元気でしょうか。

癌と告知をされて5か月ほど経ちました。

日本の四季が変わらなくても、人は自分の置かれた状態で見るもの全てが変わります。よくどうして自分が!と癌と告知されてショックだったという記事を目にしますが、私はそれは思いませんでした。がたいの良さの割に私は幼い頃からちょこちょこ小さな病気をする子供でしたし、大人になっても胃が痛いとか頭が痛いとか、いつもバッグの中には数種類のお薬を入れ持ち歩いていました。絵にも描けない不規則、不健康な生活を長年続けてきました。

2人に1人は癌に罹患する時代です。私は癌に近い場所にいる自覚があり、ショックではありましたが妙に冷静に納得して告知を受けた記憶があります。その後の外科的処置と化学療法、簡単に言えばそれに費やした5か月間でした。そのたった5か月間の経験がそれまで見ていた風景を一変させ、私だけの新しい思いや考え方を作っていきました。

昨日は予定より2週間遅れの抗がん剤治療日で、化学療法室という場所で投与してもらいました。待っている間に見取り図を見ていたらナースステーションの周りに治療室が30室あり、担当の看護師さんによると混んでいる日は3交代するのだそうです。約100名近く癌患者ウジョウジョです。カーテンで仕切られていて大部屋の狭い感じがずらずら〜とというイメージです。看護師さんも沢山いて15分間隔で見に来てくれてとても安心でした。今まで何かの度に個室だったのでこの大部屋的感覚は新鮮で、備え付けのテレビもありましたがスマホを何度か見た以外は6時間滞在の殆どを人間観察をして楽しく過ごしました。笑

癌になりたくはなかったけれど、どうせなるなら今で良かったと思います。まだボケていないうちにね、今はまだ明るい未来は見えなくても小さな変化を敏感に見つけて楽しむ事が出来ます。目を覚ましておはようと言える事、支えてくれる皆んなに感謝を言葉にして伝える事が出来る事。ビックリするくらい弱くなったり、人類史上最強になったりを繰り返し乍ら踠き乍ら、諦めて受け入れて私は少しずつ強くなっていく。どうしてあんなに強がっていたのか、見栄を張っていたのか、間違っていた事と間違っていなかったと思える事、出来たこと出来なかったこと、客観的に過去の自分と向き合いながら情けない自分を許し程々に折り合いをつけ、剥き出しになった自分を笑う事ができる。作り物だと思っていた自分も嘘ではなくそれも私の一部で、私は私以外にはなれないんだと知った。そしてこれからの私は?

癌が教えてくれた、これからも

辛抱強く私は自分を生きていく。

天空へ続く道

シーツや肌掛けを洗ってバルコニーに出たら先週までの風と違う風が私を横切って、夏が行こうとしている事に気づきました。これからの季節は日に日に一雨毎に過ごし易くなりますが、それが少し寂しいと思うのは私だけでしょうか。皆様、お変わりございませんか。

先週の金曜日に抗がん剤治療が開始されました。初期だからと思っていたステージが上がってしまい、一時はショックでガックリガクンと落ち込んでしまった私でした。頑張れと何度自分に言い聞かせても効き目はなく、深みにはまって必死にもがく自分に打つ手なしでした。こんな事になるとは思いもよらず5月の道央、道南旅行の終わりに予約した8月の道東旅行も、家族に迷惑をかけるのでは?とギリギリまで悩みました。でもだからこそ全く違う環境に身を置いて自分と向き合わない時間を過ごすべきと判断し決行しました。開腹手術1ヶ月後の早朝のことです。

釧路に降り立ってから私は少しオーバーなくらい意識的に大自然や新鮮な食材に歓声を上げ、美味しい空気を胸いっぱい吸い込み、眠る前には必ず、「私は幸せだわ。」と声に出して言い続けました。不思議な事にあんなに辛かった毎日が嘘みたいに消えて、旅の途中から、『なってしまったものはもうどうしようもない。今こんなに幸せなんだからそれで良い。』そう思える様になりました。抗がん剤治療が始まるまでに身体に良い物を沢山摂り入れて、自分に出来る事をして来るものに備えるんだと・・・

第1回目の抗がん剤治療の前日に娘が1人で何軒もの専門店に足を運び直接被ってみて予約してくれていた医療用ウィッグの専門店に行き、髪を3部刈りにしてもらいオーダーしていたウィッグを被って帰宅しました。翌日から2泊3日の入院をして治療開始、アレルギーやショック症状もなく次回からは通院での治療が決まりました。自宅では毎日家族に丸坊主をクリクリ撫でてもらい、そして今日、治療から10日が経ちました。さすが抗がん剤です、身体中をぐるっと周って手当たり次第に痛めつけているのがわかりました。副作用はありましたがどの症状も予想の範囲内で重くなく、1度も寝込む事なく1週間で楽になりました。治療の回数が増える毎に副作用が強くなるそうですが、初回としては上出来ではないかと思います。

2回目以降もこの程度なら良いのにと期待してしまう私。どうなるか全くわからない事をアレコレ考えてしまう私。頑張れば何とかなると信じている私。遠い先を見据えて逆算しながら生きてきた私。それが正しいと思ってた。でも癌になってNO!を顔面に突きつけられてコテンパンになって。そして初めて知った事、それは

今を生きるということ。

出来れば楽しんで。

⭐︎銀座のトリルは通常通り営業しています。

⭐︎マスターのみ、マスターとキャストのみ、マスターとキャストと私がいる日があります。

⭐︎私は治療後1週間はお休みさせて頂き、次回の治療までの2週間は体調を見ながらの出勤になります。

⭐︎次回の治療は9月15日です。

夜景

連日の投稿内容は私に戦いを挑んできた憎き細胞とそれにあっさり負けそうな私の暗いお話ばかり。。皆さんだってこの猛暑で体力を消耗されているし毎日それはそれは色々ご苦労がおありだと思うのに、本当に申し訳ない気持ちです。ごめんなさい。

でもどうかお願いです。暫く私の強そうに見えてめちゃめちゃ弱く少し浮いたと思えば直ぐに沈み、だけど姿も見せずにコソコソと裏で悪知恵を練る小癪な奴に、無様でも真剣に挑む姿を見守っていて頂きたいです。

『ママはだめだめだな』でも、『こう戦えよ!』でも何でも良いです。笑ってもイラッとしてもハラハラしても何でも良いです。ブログの感想とかエールとか面倒な事はして頂かなくても全然大丈夫です。どうかそこにいて下さい。時々この戦いの途中経過を見にきて下さい。私の後ろには大勢の強い味方がいるのだと思いたいです。それしかどうやら私にはなさそうです。

いつもの私なら迷いが生じても2、3日もすればスッキリ晴れるのですが、今回ばかりは苦戦しています。これはもう自分の力ではどうする事も出来ない気がして、精神安定剤とか導眠薬とか、専門家に頼るしかないのかなと判断して手術をした病院に電話をしてみました。外科的処置まではあんなに元気だったのにどうして急に立ち止まってしまったのか、何もわからなくなってしまったと電話で簡単に説明すると受付の方は手慣れた様子で、「主治医の先生の予約を取りますか?それとも癌の相談窓口でお話しされてみますか?看護師が2名いて・・・」

私は取り敢えずその相談窓口を利用してみる事に決め、予約を入れて早速昨日行ってきました。訪ねると入り口は誰でも気後れなく入れるようにとの配慮なのか、ドアーをオープンにしてありました。入って名前を言うと、クリンとした目をした穏やかそうな看護師さんが私を個室に案内してくれました。

さて、ここからです。私は性格的に自分の抱えている問題を他人に、幾らそれが話を聞くプロであっても初対面の見ず知らずの相手に弱音や愚痴を吐いてスッキリするような真っ直ぐな人間ではありません。私だって資格こそないけれど話を聞くお仕事なんだからとか、この女性は私からどう話を聞き出すのかな?って探ってみたり。。何様?あんた何しに来たの?帰れ、帰れって話ですよね。笑

何からどう話せば良いのか戸惑いながら看護師さんの様子を伺っていると、既に私の情報を把握しているように見えたので、「あの〜、もう私のこと知ってくださっていますか?」と聞いてみました。すると、「はい、まだ半分ほどですが。」

やるな、お主。

それからは看護師さんに質問形式でリードされる形で、「抗がん剤治療は嫌ですか?」「いえ、全く。やりたくはないですけど。寧ろやらないと生きられないと思っているので。」「主治医を信頼できないとか、しっくりこないとかはないですか?」「全くないです。良い先生だと思っていますし、先生がこうした方が良いと言ってくださる事に従おうと思っています。」

「そうですか、経済的な問題とかご家族との関係はいかがですか?」「それも大丈夫です。家族も支えてくれています。抗がん剤治療で寝込んでも買い物とかしてきてくれると思います。」「そうですか・・・。」「多分、私は・・・」「はい・・・」「大丈夫だと言って欲しいんだと思います。姉は末期の胃癌で苦しんで亡くなりました。姉の前に従姉妹を1人、大腸癌で亡くしています。私は死にたくないんだと思います。まだ起きてもいない再発や転移や再手術、それが怖くて眠れないんだと思います。専門家は誰も大丈夫だって言ってくれませんものね。必ず治ると私は言って欲しいんだと思います。」

し〜ん・・・

それから抗がん剤治療を乗り越えるには気力が大切なのかとか、どの様に考えて長い治療を乗り越えれば良いのかとかを聞いて帰宅しました。結局、先の先の心配より、今なんだなと思いながら。11日から5月に予約済みの北海道を再訪してきます。今度は右側から札幌まで、ゆっくり周る予定です。大きな山や湖を見て空気をたくさん吸い込んで、新鮮な食材を体に取り込み、帰宅したら小癪な癌細胞に果敢に挑みます。私には2度の癌を克服して60代でサーファーになったお客様がいます。脳梗塞で後遺症が残っても強く逞しく生きるお客様がいます。赤ちゃんの時に生き別れたお母さんと再会、立派に最後まで看取られたお客様がいます。ママは大丈夫だと言って下さる方が沢山います。一緒に戦おうと言って下さる方、静かに全快を待っていて下さる方、励ましに駆けつけて下さる方、いつでも話しかけてと言って下さる女性の方達、励まし支えてくれる家族や親族、私には大切な人がたくさんいます。負けるわけにはいきません。

死ね、癌細胞!舐めんなよ!!

銀座のトリルからのお知らせ

⭐︎8月10日(木)まで通常営業

⭐︎8月11日(金)〜夏季休業

⭐︎8月21日(月)〜大変ご迷惑をお掛けしますが、都合により当分の間、完全ご予約制での営業とさせて頂きます。ご予約状況、営業の有無につきましては事前に店舗へお電話にてお問い合わせ下さいます様、お願い致します。

まん丸お月様

いつも明るく元気で笑っていて、ほんとうの幸いを願い、身を粉にして他者に尽くし、雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・私ってそんなママだったかな?と考えた。それは私の中の理想像であって、私は決してそんなママではなかった。

意地っ張りで頑固で好き嫌いが激しく、ニコニコしているのは優しく見せたい為のお店用の表情で、本当に面白いと思う時はガハハと爆笑した。夜のお店独特のさしすせそなんて笑ってしまうくらい滑稽で苦手で、いつも本心が勝手に口から出てしまってた。男のくせにあんまりグズグズ言ってると、「もうっ腹立つわ!正座させるわよ!」なんてね。こんな愛想なしで気分屋のママ、そんなに銀座にはいないです。私は長年宮沢賢治ママを上手く演じてたと思うけど、本当は全然違うってもしかしたら、とっくの遠に、

バレてました?笑

真っ白なバスタオルが何故かグレーに見えるほどずっと泣き続けて、泣いても泣いても終わりがなくてね。頑張ったのにとか、もうこれ以上頑張れないとか、癌が物凄く上の方にある偉いものに思えてきた。出口を探して一生懸命に歩くけど、段々一方通行の細い方に迷い込んだ。

絶望。

そんな時、神戸の叔父からラインが届いた。叔父はアキちゃん(叔父の長女・従姉妹)と私をラインで繋いでやろうとしてくれている様だった。いつだったか、私より幾つも年下のアキちゃんが癌になって辛がっていると叔父から聞いた事を思い出した。叔父からショップまで行って手続きしてもらってきたとラインが届き、すがる思いで私はアキちゃんに声を掛けた。そしてやっとアキちゃんと話せた。

アキちゃんは私と同じ病気で抗がん剤治療も受けていた。告知、手術、抗がん剤治療と辛かった経験談を元にてきぱきとアドバイスをしてくれた。私はアキちゃんの話を必死でメモしながら、こんな事を聞いてみた。「アキちゃん、明るいよね。大変な病気をしたのに。どうやってそのモチベーションを?」

「抗がん剤治療ってこんなに大変なんやて思ってな。こんなに大変なんやから癌細胞も苦しんどるやろと。」

「親より先に私が死んで悲しませるわけにはいかん思うてな。」

「お姉ちゃん。私、頑張ったよ。よう頑張ったと思うわ。」

手を伸ばした先に薄らと光が見えた気がした。いつか私も言いたい。

「私、頑張った。よく頑張ったと思う。」と。

『銀座のトリルからのお切らせ』

⭐︎8月10日(木)まで通常営業

⭐︎8月11日(金)〜20日(日)夏季休業

⭐︎8月21日(月)〜

大変ご迷惑をお掛けしますが、都合により当分の間、完全ご予約制での営業とさせて頂きます。ご予約状況、営業の有無につきましては事前に店舗へお電話にてお問い合わせ下さいます様、お願い致します。