ブログ

ママとマスターのぽわぽわ銀トリ日記♪

Made with Repix (//repix.it)

明日から夏休み~なんて喜んでたのに、それももう明日で終わり。普段より少しダラダラとずっとスッピンで過ごしました。笑

 

昔、上京した息子に田舎のお母さんからお米やお野菜のいっぱい入った小包が届く、とてもほのぼのしたCMがありました。小包の1番上にはお母さんからのお手紙。身体にだけは気をつけるのよって。そのCMを見ていいなぁって思ったものでした。1人暮らしをすると実家から小包が届くのか〜。身体を気遣ってくれる、優しいお手紙も届くのか〜。

 

そのCMが流れていた頃、私は神戸の大学に入学し親元を離れました。私は密かに心待ちにしていたのです、ダンボールいっぱいに愛情の詰まった小包がもうそろそろ届くだろうと。送ってねなんてわざわざ頼まなくたって、母は送ってくれるだろうって思っていました。

 

甘かったです。爆

 

いつまで経っても葉っぱ1枚送られて来ませんでした。そういう奴です、私の母は。痺れを切らした私は遂に母に電話で、「 何か送ってきて。」って。笑

 

「 お友達にお土産とか頂いてるから、私も何かお返ししないといけないのよ。」「 あら、そうなの?わかった。ご飯はちゃんと食べてるの?」「 うん。朝食はパンでお昼は学食。夕食は・・・」「 じゃ、ご飯の心配はいらないわね。」「 うん。でも麺とかたまに食べたいかな。」

 

私の元に大きなダンボールが届いたのはそんな会話の3日後の事でした。大きくて重くてビックリしました。まさかお酒でも入っているんじゃないかと不安になりながら、お部屋に運んで開けてみると・・・和菓子の箱が10箱とカップヌードルが20個。

 

へ?笑

 

そして薄いお手紙が1枚ピラリン〜。「 元気で楽しくやっているようで安心していますよ。2万円、お小遣いを入れておきました。何か欲し物を買いなさいね。」

 

ワォ。

 

私は先ず2万円を探しました。和菓子の重い箱を10箱とカップヌードル20個を取り出して。でもどこにも2万円はありませんでした。

 

翌日、母に電話を。母は、「 あれで足りるでしょ?高いのよ〜、あの和菓子。皆さんに渡すのよ。」って。

 

お抹茶かよ!

 

「 ・・・それよりあのね・・・」「 ラーメン入ってたでしょ?」「 入ってた。それであの・・・」「 麺が食べたいって言ったから。」「 ありがとう。でね・・・2万円だけど。」「 うんうん。何か買うといいよ。」「 入ってないよっ!探したんだけど。」「 え?入ってるでしょ?封筒の中に。」「 封筒?ないよ、紙が1枚入ってるだけで。」「 封筒ない?手紙の封筒。」「 ないよ、紙だけ。」「 あれっ?ない?ちょっと待ってて。」

 

ごっめぇ~ん、封筒こっちにあるわぁ〜。あっは、あははぁ〜。

 

ぶー!笑

深夜テレビをつけたら世界陸上をやっていました。暫く観ていたのですが・・・

 

皆さん、負けず嫌いですね〜。笑

 

私は昔、バレーボールをやっていました。毎日汗だくになってボールを追いかけていました。あの頃はこんな私も熱い青春をしていました。今は少し歩くだけで寝込んでしまいそうですが。

 

私がこの世界に入って間もない頃、並木通りで70代の白髪の男性と和服のママさんとすれ違いました。とても落ち着いた品のあるお似合いのお2人で、私は見惚れて釘付けになってしまいました。すれ違った時の男性の香水の良い香りといったら。男性の体臭と香水の香りが絶妙に融け合って、ついて行こうかと思ったほどです。

 

年齢と共に体臭はきつくなってきますが、その男性のお洋服や持ち物だけれどじゃなく香りにまで拘ってらっしゃった姿勢に・・・

 

カンパーイ!笑

 

それにしても良く走る、よく飛ぶよく、よく投げる。

 

汗臭そう。笑

wpid-20150716030957

皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。土曜日から9日間の夏季休暇って方もチラホラ。激しい暑さの毎日です。どうぞご無理などなさいませんよう、ごゆっくりお過ごしになって下さいませ。

 

夏といえば花火、昨夜は東京湾の花火でした。毎年この時期になると花火大会の賑やかな宣伝ポスターを目にします。ですが何年も私は全く花火見物に縁のない生活を送ってきました。ゆっくり花火を見たのは、娘がまだ小学校入学前だったような気がします。

 

昨年の春、私達親子は今の住まいに引っ越してきました。でも生活しているのは娘だけで、私にとってこの住まいはただ眠るための場所に過ぎません。そんな私ですから夏になり娘から、「 うちから8箇所の花火が見れるよ。」って聞かされても、「 ふぅ~ん。」笑

 

それが今年だけは、花火を見ておきたいかなぁ~と思ったのです。実は私の両親は私達の隣のマンションにいるのですが、昨年あたりから父親の体調が優れません。それと同時に記憶も時々上手く繋がらない日が増えてきました。「 私には娘が何人いた?」と突然母親に聞いたりする事があるようです。先日まで2人いたはずの娘が私1人になって余程寂しかったのだろうかと思います。

 

思い出すのは昔、母親が縫ってくれた揃いの浴衣を着て父と姉と3人で手を繋いで行った花火大会。夜空には爆音と共に大輪の花が咲いているというのに私は夜店の綿アメばかりが気になって。父に、「 今の見た?そっち見てないで、ちゃんと花火を見なさい。」って言われるけど、隣のオモチャの指輪も気になって。「 もうすぐ終わっちゃうよ。花火、見たの?」そんなこと言ったって、買ってもらった綿アメがベタベタ浴衣にくっついて。帰る頃には下駄の鼻緒が痛くて痛くて。

 

今夜は私の代わりに娘が浴衣を着てくれました。父は嬉しそうに目を細めて、「 綺麗だねぇ。」って褒めて夜空の花を見上げ、「 凄く綺麗だねぇ。」って喜んで。そして・・・「 ここはどこかな?」って。

 

お父さん・・・。

wpid-20150716031417

毎日暑いですね。何か食べてから出勤しようとCOREビル辺りをフラつきましたが、あまりの暑さに頭がフラついてきて慌ててトリルに逃げ帰ってきました。それにしてもこう暑いと何が食べたいか解らなくなりませんか?

 

食べ物といえば不規則な私達は、「 マスター、 今日、何か食べたっけ?」「 いぇ、まだ何も。」

 

げ!

 

なんていう事がよくあります。それで2人であちこち食べに出かけるのですが外食って飽きてしまう。食べ物にはホント苦労しています。先日も夕食が深夜になりマスターが、「 冷蔵庫に牛タンがあるんで自分はナポリタンに入れて食べますわ。それでいいんで。」って。「 今から作るの?」「 はぃ、炒めたらスグなんで。」「 そう?じゃ私はコンビニでお弁当でも買ってくるわね。」コンビニから帰るとマスターがナポリタンをお皿に移していて、「 玉ネギとししとうがあったんでそれも一緒に炒めてみました。美味しそうですわ〜。」「 ししとう?ししとうも入れたの?ナポリタンに?タンとししとう?」「 へぇ〜、ナポリとタンでこれがほんまのナポリタンですわ。」

 

は?

 

マスターはナポリとタンのこれがほんまのナポリタンを一口食べて、「 ウッマ。めちゃめちゃ美味しいですわ〜。これホンマに美味しいですわ〜。サイコーッ!」って。

 

不味そう〜。笑

 

私はそれは見ないようにしていました。マスターは真っ赤なナポリとタンを半分くらい食べて、「 硬っ!タンはあきませんわ〜。硬すぎて噛み切れませんわ〜。焼肉に行っても、自分はタンなんて食べませんから〜。」

 

知らんがな!笑

wpid-20150715111420

マスターがお父様のご葬儀を終えトリルに復帰致しました。ご心配やお悔やみを下さった沢山の皆様に私からもお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

 

復帰したマスターには喪主として重大な任務をこなした安堵が見えました。またひとつ人として立派になったような、そんな気もしました。あるサイトにマスターが亡きお父様への思いをアップしていてその文章を読ませてもらったのですが、それが温かく思いやりに溢れていて涙が溢れそうになりました。

 

実は私は実姉を2年前に亡くしています。逝った本人も残された義兄もまだ若く、姉の2人の子供達は当時はまだどちらも学生でした。姉の最後の入院生活は見ている私の方が参ってしまいそうなほど痛みと絶望の辛いものでした。家族を何より大切にしてきた姉はどれほど無念だっただろうと、亡くなった後もそればかり思っていました。

 

マスターの文章を読むまでは、私は姉が可哀想だとずっと思っていました。ですがそれは姉にとても失礼だったと気づきました。来る日も来る日も激痛に耐え乍ら最後まで生への希望を失うことなく見事に人生を全うした姉に、私は敬意を払うべきでした。

 

よく頑張ったね。
偉かったよ。
やっと楽になれたのね。
お疲れ様。
後は任せてと声を掛けるべきでした。

 

姉が大切に一生懸命に育てた甥は9月にお嫁さんをもらいます。私は姉の代わりに、2人の幸せな姿を目に焼き付けてくる義務があると思っています。そして私は姉の分まで、まだ来ないの?って姉が呆れるほど生きなければと。

 

人って何かを失って、初めてその大切さに気づくんですね。ありきたりのフレーズですが。大切なものって・・・失いたくないですね。