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ママのぽわぽわ銀トリ日記♪
春・吉日

4月2日、9日間の入院生活を終え帰宅しました。

地下駐車場からゆっくりと車が正門に差し掛かった時、私の目に飛び込んできたのは5分咲きの桜でした。

たった数日の入院でしたが久し振りに外の景色を見た気がして、わぁ〜と言った後は何も言葉が見つかりませんでした。

さまざまなこと 思い出す桜かな

そう詠んだのは芭蕉だったでしょうか。

いつかゆっくり桜の下を歩きながら、今の私を懐かしく思い出す日が来ると嬉しいです。

皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。

今回は入院初日に手術の為の検査をして、翌朝早くにポート埋め込み手術を受けました。

手術着に着替えていると看護師さんが迎えに来てくれて、2人でお喋りしながら歩いて処置室に向かいました。

処置室に入ると注射恐怖症だと訴える時間も与えられず、「はい、こちらを頭にしてゆっくり横になってくださいねぇ。」と看護師さんに促されあっという間に仰向けにされ、身体に装置をつけられました。

続いてどこから現れたのか頭の上で男性医師の声がして、「切開部分に印をつけますね。」「それでは麻酔から始めますね。ちょっとチクっとしますよ〜。」

チクッ!

ヒェ〜。

私は硬く目を瞑りピクリとも動かず、少しでも早く処置が終わる様に気絶したいと願いましたが無理でした。

病室に戻り鏡に映してみると、鎖骨の下にポコっと丸い舐めかけのチュッパチャップスが埋め込まれていました。

“いつの間にこんなの入れたんだろ?これ何色だろうか?”

その翌日から飲む抗がん剤の服用が始まりました。

更に埋め込んだばかりのチュッパチャップスに針を刺して所要時間30分の新しい抗がん剤の第1回目の点滴が投与されました。

前日に病室に来て下さった看護師長さんの、「抗がん剤の治療の時はこれはよく効くんだと思って受けてね。」とのアドバイスを信じて、ぽとぽと落ちる薬剤を見上げながら最後の一滴が落ちるまで、効け効け〜!効け効け〜!😆

命令か!

入院中は少し血圧が上昇した程度で副作用の症状はありませんでした。

どこも痛くないから暇で、スイッチで遊んだり映画を見たり院内をくるくる歩き回ったりして過ごしました。

歩いていたらすれ違った先生達に、「元気だねぇ。」「はい、元気です。ありがとうございます。」なんてね。

それなのに、あんなにあれだったのに退院した夜から、

血圧急上昇&頭痛&高熱&悪寒でダウン

知らない人に笑顔を振り撒きすぎたかな。

春・木蓮

先日お客様から満開の木蓮の写真付きで励ましのメッセージを頂いたので、このお花について少し調べてみました。
木蓮は上に向かって咲き、その様子が春の訪れを喜び歌っているように見えることから『自然への愛』と花言葉が付けられたそうです。
細い枝とは裏腹にずっしりとした花を咲かせることから『崇高』『高潔な心』や化石として発見されたこともあり恐竜が生存していた時代から自生していたとされ、『持続性』『忍耐』という花言葉もあるようです。

どっしりと大地に根を下ろした大木に大らかに咲く木蓮、もしも花に例えられるなら何の花が良い?と聞かれたら私は迷わず、木蓮でお願いします!と答えます。

皆様、お変わりないですか。

春ですね。

数日前に病院に行き、術後の経過と今後の治療について説明を受けてきました。

経過はとても順調で検査結果に何の問題もなく、ホッと胸を撫で下ろしました。

ただ今回も目に見える悪い細胞は全て取り除けたものの今後も再発予防の抗がん剤治療は必須だそうで、毎日の飲み薬と3週間に1度の点滴を35回投与予定とのことでした。

35回=7×3×35÷365??

この計算で合ってるのかな。。

なっが!笑

これまた去年と同様で今回も初回は副作用など様子見の為の入院が25日からと決まり、問題がなければ以降は通院治療になるそうです。

元々細い上に度重なる治療で私の血管はボロボロになってしまった様で、何度もカテーテルを入れ直す看護師さんは大変そうでした。

私は痛みや手首や腕の青あざや腫れを見て、すっかり注射恐怖症になりました。

その処置の為、2日多い9日間の入院です。

処置はポート埋め込みの1時間ほどの手術ですが、「麻酔の注射が怖い」と娘に嘆いたら、「身体に小さなロボットが入るんだと思って。」と訳のわからない慰め?を掛けられました。笑

次の治療の副作用が少なければどんなに良いかと思います。

私なんかよりもっと辛い状況の人も沢山いて、私はまだ恵まれている方だと思うけれど、もう少しだけで良いから健康になりたいと思います。

せめて1日だけでも癌のことを忘れられたら。

ところで今はまっている海外の長編ドラマがあるのですが、長編を観るといつも不思議に思う事があります。

初めは物凄く面白いのですが途中から、あれ?って展開がえらい事になってくる。

あれは監督のプレッシャーなのか気分なのか。

折角ここまで観てきたのに途中でガッカリ!が多いです。

普通で良いのになぁ。

因みに今見ているドラマはイギリスとスコットランドが舞台だったはずでしたが、何故か主人公は今ジャマイカで踊っています。🤪

それでは皆さま、またお会いしましょう。

病室にて

日毎に春めき、吹く風も心地よい季節になりました。

皆様お変わりございませんか。

先月の17日に再入院、19日に再手術を終え、お陰様で3月2日に無事に退院して参りました。

ご心配をおかけしましたのに、ご報告が遅くなってしまいごめんなさい。

昨年7月以来2度目の開腹という事で癒着があり長時間の手術だったそうですが、PET検査で再発は原発の直ぐ近くの1箇所と言われていた通りで完全に切除出来たと術後直ぐに報告を受けホッと一安心致しました。

また術前の予定より少し大きく開腹して隅々まで転移無しの確認後に閉じて下さったと聞き、先生方に出会えて良かったと心から感謝をお伝えしました。

手術翌日には歩いて病室内のトイレに行き、翌々日には看護師さんに見守られ乍ら病棟内をゆっくり2周歩きました。

その翌日には3周、次の日は1日に2度、そして3度・・・

7か月前に経験した大きなお腹の傷跡や痛みにはすっかり慣れっこでベッドの柵につかまりササっと起きる姿に、どの看護師さんも目をパチクリして驚いて、「大丈夫ですか?わぁ、凄い〜。」と褒めてくれました。笑

だけど大手術も傷跡も点滴も平気なのに朝夕2回の血栓予防の皮下注射が痛くて怖くてトラウマで。😭

「十分歩いてるし私は血栓は出来ないと思うよ。だからお願い、先生。これもう止めてもらえない?本当にほんとに嫌なんだけど〜。」って主治医に何度泣きついたか知れません。

毎日しつこく懇願していたら耐えられなくなったのか、先生は通常より1日早く止めてくれました。

今回も主治医の祐奈先生や大斗先生をはじめチームの先生達、沢山の看護師さんや関係者の皆さん、応援して下さる皆様に命を助けて頂きました。

頑張って手術を乗り越えたと思ったら早速今月末には1週間の入院をして新しい化学療法の再開です。

然もそれは最大2年間ほどの気の遠くなる様な長期治療だそうです。

私が頑張ってみたところでなる様にしかならない事はわかっていますし、頑張り過ぎるなと言って下さる方もいますが、頑張って気を確かに持たなければ2年間もの治療は私にはとても乗り越えられません。 

時々1人でいる時にとても残念になります、こんな事で時間を無駄にしている自分が。

社会から取り残されていると不安になって焦って、でもどうにもならない現状に途方に暮れる時があります。

でも私はまだ生かされています。

もう2度も皆さんに命を救ってもらえました。

いつまでも自分を悲しんで足踏みしているわけにはいきません。

諦めない先生方と絶対に良くなると信じてくれている大切な人達。

私は私の為に、先生達や大切な人達の為にこれからも頑張ります。

いっぱい泣いたら優しい人になれるでしょうか。

なれたら良いな。

深夜の美容室にて

名古屋のお客様が毎年送って下さる蝋梅の写真が今年も届き、もう1年経ったのかと年々早まる時の速さに驚きました。蝋梅はまだ花のない真冬から2月にかけて、そっと俯き加減に黄色い花を咲かせる控えめさから花言葉は、「奥ゆかしさ」「慈しみ」なのだそう。。

わ〜ぉ。

先週末、検査結果を主治医に聞いてきました。

前回のブログでリンパ節への転移の疑いが見られ再検査になったと書いたきり更新しなかった為、沢山の方にご心配をおかけしてしまいました。

ごめんなさい🙇‍♀️

皆様には絶対にお見せ出来ない私だけの秘密の時間が必要でした。笑

予想通り、私の癌細胞は転んでもただでは起きないしぶとい私似で、あんなにキツい抗がん剤の後半戦にはしっかり生き残る術を身につけていました。

癌が赤く映るというPET検査の結果、主治医のPCに映った私の左閉鎖リンパ節は赤色でした。

幸いにもそれ以外の遠隔転移は見られないとか血管外科医の立ち会いで摘出手術可能など、その後続く主治医の説明を私はどこか他人事の様に聞いていました。(これは一喜一憂しては結局願い叶わず何度も傷ついて身に付けた、私独自の保身術です。)

2月に再手術、その後回復を待って新たな治療の開始だそうです。

遠隔転移がなかった事は嬉しいこと、転移した癌細胞を摘出出来る事も嬉しいこと、でも目に見えない癌細胞は残ってる?

それって一周回って去年5月頃に戻ったって事なのかな。

無限ループにハマってる。笑

ま、いっか。

ぐるぐる回ってるならそれはそれで。

癌に罹患してから良いことも悪いことも、勉強になることもならないことも沢山学びました。

その中で当たり前だけど知らなかったことの1位は、病気や治療に対していつも前向きでいられるわけがないという事です。

初めは頑張っていた私ですが早々にギブアップして、辛い時は我慢せず思い切り辛がる事にしました。

辛い気持ちを少し話したい日もあれば、1人で泣きたい夜もあり最近は家族が、「どうして欲しい?」と聞いてくれるようになり随分楽になりました。

弱虫な自分が情けないという思いが加算されて余計に落ち込みますが、それでも次の頑張りの為にとても大事な落ち込みの時間なんだと知りました。

一旦落ち込まないと、辛い治療の途中で必ず息切れします。

そして立ち直り始めてからの私の反動力は凄いです。

2番目に、癌になったら1人でも多くの信頼する皆さんの力が必要だという事です。

生かそうと頑張ってくれる医療関係者を始め、閉店後に深夜まで残ってウィッグを整えてくれる優しい美容師さんまで、皆さんの力が私を励まし支え生かしてくれていると感じます。

これからも私は1人ではとても闘えません。

いつも感謝しています。

ありがとうございます。

また復帰が遠のきました。

とても残念です。

寒い日が続きます。

皆様、呉々も風邪にお気をつけてお過ごし下さいませ。

病院にて

先日8か月ぶりに、勇気を出して母に会いに行ってきました。

自分の母親なのになんて親不孝な奴だと思われるでしょうか。

昨年の5月に癌と告知された時に施設に簡単に事情を説明して、「暫く会いに行けないけれどどうか母をお願いします。」と言ったきり私は1度も母に会いに行っていませんでした。

私を娘と認識出来なくなった母ですが、私はどうしても母に癌になってしまった姿を見せたくなかったのです。

母に申し訳ない気がして。

手術が終わって退院したら行こう、抗がん剤が始まる前に行こう、終わったら行こう、元気になったら行こう・・・でもいつまで経っても私は元気にはなれませんでした。

抗がん剤4回目が終わった後に、『なんか良くなっている気がしないなぁ。』とふと思った事がありました。

そんな事を思ったら良くなるものも良くならないと必死で自戒しましたが、その予感は打ち消しても打ち消しても消えませんでした。

もう1回で抗がん剤治療が終わると言いながら、治療が終了した年末も大して嬉しくありませんでした。

そしてお正月明けのCT検査の結果は転移の疑いあり。

やっぱり、でした。

今は更に詳しく検査をして来週末の結果発表を待っているところです。

悪い予感ってどうしてこんなに当たるのでしょう。

元気になったら行こうと思っていた私ですが、それがいつになるかわからなくなったので母に会いに行ってきたというわけです。

母は8か月前と変わらず元気でいてくれました。

私を誰かわからないけれど全然知らない人ではないなという様な微妙な顔をして見ました。

「握手しよう。」と言って母の手を握ると、何故か母は私の手や腕を撫で始めました。

子供の頃から母は私が疲れていると必ず、「俯せになってご覧。背中を押しておげる、楽になるから。」と。

それを思い出して私は堪えていた感情が吹き出して・・・

娘が、「お婆ちゃん、私も撫でて。」と手を出したのですが、母は娘の手を一瞬握ってポイッ!笑

また私の目を真っ直ぐに見て手を撫で始め、それは面会時間が終わるまで続きました。

まるで母がわかっているよと言ってくれている様で、大丈夫だと励ましてくれている様で、

「お母さん、私、癌になってしまったわ。ごめん。お母さん・・・助けて。」

娘ほどの若い先生が、「転移していたらですが良く効く薬があります。良く効いて完治した方もいます。」と言ってくれました。

私は先生が私を家族の様に思い最良の治療をして下さっていると信じています。

ここが私の頑張りどころなんだと、不思議な事に癌に罹患して初めて今、私は強くそう思います。

また不安と恐怖と孤独に押しつぶされそうになり涙が止まりませんが、何度突き落とされても私は必ず立ち直り闘い始めます。

もう直ぐ復帰と思ったけれどどうなるでしょうかのお知らせでした。🙇‍♀️