銀座のトリル 03-3572-8228

8月 2013

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私・店内にて

明日から夏休み~なんて喜んでたのに、あっという間に明日で終わり。ずっとスッピンでだらだら過ごしておりました。笑

皆様、お元気ですか?

昔、上京した息子に田舎のお母さんからお米やお野菜のいっぱい入った小包が届く、とてもほのぼのしたCMがありました。荷物の1番上にお母さんのお手紙があって、身体にだけは気をつける様にと。

1人暮らしをすると実家から小包が届くのか〜、身体を気遣ってくれる優しい手紙も届くのか〜。

そのCMが流れていた頃、丁度私は神戸の大学に入学し親元を離れました。

私は密かに心待ちにしていたのです、ダンボールいっぱいに愛情の詰まった小包がもうそろそろ届くだろうと。

きっと母は送ってくれるだろうと思っていました。

甘かった。爆

そういう奴です、私の母は。

遂に私は母に電話で、「 何か送ってきて。」笑

「お友達にお土産とか頂いてるから、私も何かお返ししないといけないのよ。」「あら、そうなの?わかった。ご飯はちゃんと食べてるの?」「うん。」「じゃ、ご飯の心配はいらないわね。」「うん。でも麺とかたまに食べたいかなぁ。」

3日後に大きくて重い小包が届きました。まさかお酒でも入っているんじゃないかと開けてみたら、和菓子の箱が10箱とカップヌードルが20個、そして便箋が1枚ピラリン〜。

「元気で楽しくやっているようで安心しました。2万円、お小遣いを入れておきました。何か欲し物を買いなさいね。」

2万円は和菓子10箱とカップヌードル20個を取り出して探し回りましたがどこにもありませんでした。

翌日、母に電話をしたら、「あれで足りるでしょ?高いのよ〜、あの和菓子。皆さんに渡すのよ。」

お抹茶かよ!

「それよりあのね・・・」「ラーメン入ってたでしょ?」「入ってた、それであの・・・」「麺が食べたいって言ったから。」「ありがとう。でね2万円だけど。」「うんうん。何か買うといいよ。」「入ってないよっ!探したんだけどどこにもないよ。」「え?入ってるでしょ?封筒の中に。」「封筒?ないよ、紙が1枚入ってただけ。」「封筒ない?手紙の封筒。」「ないよ、紙だけ。」「 あれっ?ない?ちょっと待ってて。」

「ごっめぇ~ん、封筒こっちにあるわぁ〜。あっは。」

ダメだ、うちの親。笑

私・帝国ホテルにて

深夜テレビをつけたら世界陸上をやっていました。暫く観ていたのですが・・・

皆さん、負けず嫌いですね〜。笑

私はこう見えて昔、バレーボールをやっていました。毎日汗だくになってボールを追いかけていました。驚かれると思いますが結構上手だったんですよ。

今はちょっと歩くだけで息切れします。汗も苦手で、汗かくと気持ちが良いって言ってる人は頭がおかしいと思っています。笑

私がまだ新人の頃、並木通りを歩いていたら、向こうから高齢の白髪の男性と和服のママさんが歩いてきました。とても品のあるお似合いのお2人に見惚れてしまいました。

何故か私の方が緊張してしまって。

すれ違った時の男性の香水の良い香りといったらもう。。。

渋くて深いその香りについて行きたいと思ったほどでした。

私もいつかそんな風に銀座を歩けたらいいな。

それにしてもよく走る、よく飛ぶ、よく投げる。汗臭そう〜。笑

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娘・自宅にて

皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。激しい暑さの毎日です。どうぞご無理をなさいませんよう、ごゆっくりお過ごし下さいませ。

昨夜は東京湾の花火でした。このお仕事を始めてから私は花火には全く縁のない生活を送ってきました。ゆっくりと花火を楽しんだのは、娘が小学校低学年の頃だったような気がします。

昨年の夏、娘が「うちから8箇所の花火が見えたよ。」って嬉しそうに言うのを朦朧とした頭で、「ふぅ〜ん。」笑

でも今年はお店を休んででも絶対に花火を見ようと決めていました。姉が死んでから父は体調を崩すことが多くなり気になっていたところに、「お父さんがうちには娘が何人いた?と聞いてきた、様子がおかしい。」と母から連絡を受けていて、私は花火見物をしながら父を観察しようと考えていたのです。

昔、母が縫ってくれた揃いの浴衣を着て、父に連れられ姉と3人で行った花火大会。

夜空には大輪の花が咲いているというのに私は露店ばかり見ていて、父に、「今の見た?そっち見てないでちゃんと上を見なさい。」と何度注意されて綿飴やオモチャの指輪が気になって。

「もうすぐ終わっちゃうよ。花火、見たの?」

今夜は私の代わりに娘が浴衣を着てくれました。

父は、「菜々、綺麗だねぇ。よく似合うね。」と嬉しそうに目を細め、夜空の花を見上げて、「凄く綺麗だねぇ。」って喜んで。

「ここはどこかな?もう帰ろう。」って。

お父さん・・・

たった今、花火が始まったばかりよ。

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マスター・店内にて

毎日暑いですね。何か食べてから出勤しようとCOREビル辺りをフラつきましたが、あまりの暑さに頭がフラついてきたので食べ物は諦めました。

不規則な私達は、「マスター、 今日、何か食べたっけ?」「

「いぇ、まだ何も。」

げ!という事が度々起こり、2人でよく食べに出かけるのですが、外食って飽きるんですよね。食べ物には本当苦労しています。

先日も夕食が深夜2時になってしまいました。

「冷蔵庫に牛タンがあるんで自分はナポリタン作って食べます。」ってマスターが。

「え?今から作るの?」「はぃ、炒めたら直ぐなんで。」「そう?じゃ私はコンビニでお弁当でも買ってくるわね。」

コンビニから帰るとマスターが出来上がったナポリタンをお皿に移していました。

「玉ネギとししとうがあったんでそれも一緒に炒めてみました。美味しそうですわ〜。」

「ししとう入れたの?ナポリタンに?」

「 ナポリとタンでこれがほんまのナポリタンですわ。」

は?

「たんとナポリタンは合わないですわ。」

たんとナポリは合うけどね。笑

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江ノ島にて

マスターがお父様のご葬儀を終えトリルに帰ってきてくれました。

ご心配やお悔やみを下さった皆様に、私からもお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

久しぶりに見るマスターは喪主として立派にお父様をお見送り出来たのでしょう、とてもホッとしている様です。あるサイトにマスターが亡きお父様への思いをアップしていて、その文章を読ませてもらいました。

温かく思いやりに溢れた言葉に、私は涙が溢れそうになりました。

実は私は実姉を2年前に亡くしています。

本人も残された義兄もまだ若く、姉の2人の子供達は当時はまだ学生でした。

姉の入院生活は痛みと絶望しかなく、掛ける言葉も見つからず私まで参ってしまいました。

自分より家族が最優先だった姉はどれほど無念だっただろうかと、逝ってしまってから私はそればかり考えて姉が可哀想で。

マスターの文章を読ませてもらい、それは姉に対してあまりにも失礼だったと反省しました。来る日も来る日も激痛に耐え乍ら、最後まで生への希望を失うことなく見事に人生を全うした姉に私は心から敬意を払うべきでした。

よく頑張ったね、偉かったよ。
後は任せてと声を掛けるべきでした。

人って何かを失って初めてその大切さに気づくって言うけれど、本当なんですね。