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1月 2024

深夜の美容室にて

名古屋のお客様が毎年送って下さる蝋梅の写真が今年も届き、もう1年経ったのかと年々早まる時の速さに驚きました。蝋梅はまだ花のない真冬から2月にかけて、そっと俯き加減に黄色い花を咲かせる控えめさから花言葉は、「奥ゆかしさ」「慈しみ」なのだそう。。

わ〜ぉ。

先週末、検査結果を主治医に聞いてきました。

前回のブログでリンパ節への転移の疑いが見られ再検査になったと書いたきり更新しなかった為、沢山の方にご心配をおかけしてしまいました。

ごめんなさい🙇‍♀️

皆様には絶対にお見せ出来ない私だけの秘密の時間が必要でした。笑

予想通り、私の癌細胞は転んでもただでは起きないしぶとい私似で、あんなにキツい抗がん剤の後半戦にはしっかり生き残る術を身につけていました。

癌が赤く映るというPET検査の結果、主治医のPCに映った私の左閉鎖リンパ節は赤色でした。

幸いにもそれ以外の遠隔転移は見られないとか血管外科医の立ち会いで摘出手術可能など、その後続く主治医の説明を私はどこか他人事の様に聞いていました。(これは一喜一憂しては結局願い叶わず何度も傷ついて身に付けた、私独自の保身術です。)

2月に再手術、その後回復を待って新たな治療の開始だそうです。

遠隔転移がなかった事は嬉しいこと、転移した癌細胞を摘出出来る事も嬉しいこと、でも目に見えない癌細胞は残ってる?

それって一周回って去年5月頃に戻ったって事なのかな。

無限ループにハマってる。笑

ま、いっか。

ぐるぐる回ってるならそれはそれで。

癌に罹患してから良いことも悪いことも、勉強になることもならないことも沢山学びました。

その中で当たり前だけど知らなかったことの1位は、病気や治療に対していつも前向きでいられるわけがないという事です。

初めは頑張っていた私ですが早々にギブアップして、辛い時は我慢せず思い切り辛がる事にしました。

辛い気持ちを少し話したい日もあれば、1人で泣きたい夜もあり最近は家族が、「どうして欲しい?」と聞いてくれるようになり随分楽になりました。

弱虫な自分が情けないという思いが加算されて余計に落ち込みますが、それでも次の頑張りの為にとても大事な落ち込みの時間なんだと知りました。

一旦落ち込まないと、辛い治療の途中で必ず息切れします。

そして立ち直り始めてからの私の反動力は凄いです。

2番目に、癌になったら1人でも多くの信頼する皆さんの力が必要だという事です。

生かそうと頑張ってくれる医療関係者を始め、閉店後に深夜まで残ってウィッグを整えてくれる優しい美容師さんまで、皆さんの力が私を励まし支え生かしてくれていると感じます。

これからも私は1人ではとても闘えません。

いつも感謝しています。

ありがとうございます。

また復帰が遠のきました。

とても残念です。

寒い日が続きます。

皆様、呉々も風邪にお気をつけてお過ごし下さいませ。

病院にて

先日8か月ぶりに、勇気を出して母に会いに行ってきました。

自分の母親なのになんて親不孝な奴だと思われるでしょうか。

昨年の5月に癌と告知された時に施設に簡単に事情を説明して、「暫く会いに行けないけれどどうか母をお願いします。」と言ったきり私は1度も母に会いに行っていませんでした。

私を娘と認識出来なくなった母ですが、私はどうしても母に癌になってしまった姿を見せたくなかったのです。

母に申し訳ない気がして。

手術が終わって退院したら行こう、抗がん剤が始まる前に行こう、終わったら行こう、元気になったら行こう・・・でもいつまで経っても私は元気にはなれませんでした。

抗がん剤4回目が終わった後に、『なんか良くなっている気がしないなぁ。』とふと思った事がありました。

そんな事を思ったら良くなるものも良くならないと必死で自戒しましたが、その予感は打ち消しても打ち消しても消えませんでした。

もう1回で抗がん剤治療が終わると言いながら、治療が終了した年末も大して嬉しくありませんでした。

そしてお正月明けのCT検査の結果は転移の疑いあり。

やっぱり、でした。

今は更に詳しく検査をして来週末の結果発表を待っているところです。

悪い予感ってどうしてこんなに当たるのでしょう。

元気になったら行こうと思っていた私ですが、それがいつになるかわからなくなったので母に会いに行ってきたというわけです。

母は8か月前と変わらず元気でいてくれました。

私を誰かわからないけれど全然知らない人ではないなという様な微妙な顔をして見ました。

「握手しよう。」と言って母の手を握ると、何故か母は私の手や腕を撫で始めました。

子供の頃から母は私が疲れていると必ず、「俯せになってご覧。背中を押しておげる、楽になるから。」と。

それを思い出して私は堪えていた感情が吹き出して・・・

娘が、「お婆ちゃん、私も撫でて。」と手を出したのですが、母は娘の手を一瞬握ってポイッ!笑

また私の目を真っ直ぐに見て手を撫で始め、それは面会時間が終わるまで続きました。

まるで母がわかっているよと言ってくれている様で、大丈夫だと励ましてくれている様で、

「お母さん、私、癌になってしまったわ。ごめん。お母さん・・・助けて。」

娘ほどの若い先生が、「転移していたらですが良く効く薬があります。良く効いて完治した方もいます。」と言ってくれました。

私は先生が私を家族の様に思い最良の治療をして下さっていると信じています。

ここが私の頑張りどころなんだと、不思議な事に癌に罹患して初めて今、私は強くそう思います。

また不安と恐怖と孤独に押しつぶされそうになり涙が止まりませんが、何度突き落とされても私は必ず立ち直り闘い始めます。

もう直ぐ復帰と思ったけれどどうなるでしょうかのお知らせでした。🙇‍♀️

御代田にて

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します🙇

今年は元旦から悲報続きで心穏やかなお正月とはならず、寒さがことのほか厳しく感じられます。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

数年前に1週間ほどかけて車で愛知、福井、石川、富山と旅をしました。

私はその時が初石川県で母から輪島塗りの食器を譲り受けていた事もあり、旅のメインを石川県に設定して他県より長く滞在しました。

金沢市内を楽しんだ翌日、車は輪島朝市通りから能登半島、そして和倉温泉へ。

半島一周の途中で立ち寄った珠洲市塩田村の塩ソフトクリームは絶品で、今でも我が家が旅先で食べたご当地ソフトクリームの不動の1位、忘れられない味になりました。

帰宅してから何度も旅の記録を写したビデオ鑑賞をしては、「またあの塩ソフトクリームを食べに行きたいね。だけど能登半島は遠かったよねぇ。」と懐かしく話していました。

揺れが落ち着き震源地は何処だろう?とテレビをつけたら、見覚えのある街並みの変わり果てた姿が映し出されショックで固まってしまいました。

そしてその翌日の羽田の事故。

こんなお正月は初めてです。

東北の地震から数年後に、車で被災地をぐるりと周りました。震災中から落ち着いた頃に被災地を訪ねたいと思っていて、やっと念願が叶った旅でした。目についたお店というお店に入って行ってワカメを買ったり海苔を買ったり手を合わせたり。

たったそれだけしか出来ませんでしたが、それが私の気持ちでした。

石川県にもまた必ず時間を作って行こうと思います。

昨年は私にとって苦難の年でした。サービス業の端くれとして、ここでは話したくない辛い事が沢山起きました。

でも私は何故かまだ生きています。

生きている事が当たり前だった毎日が突然終わった時、その意味や理由を何度も探しました。

そしてわかった事。

私は私の生に意味が欲しいだけで元々理由は何もなく、私はたまたま産まれてきて生き存えているのだという事。

私はたまたま産まれてきましたが、今生き存えているのには理由があります。

私には辛い時に辛いと正直に話せる家族や医療関係者や大丈夫だと支えてくれる友人や、回復を待っていてくれる人が傍にいます。

励まし合って一緒に生きて行きたい人が沢山います。

1日も早く元気な私に戻って今度は私が、「あの時はありがとう、大丈夫だからね。」と言う番です。

私が今も生きているのは孤独ではなかったからです。

今、年末に6回目の抗がん剤治療を終えて火曜日に各種検査を済ませ、金曜日の検査結果を待っているところです。

何度経験してもこの待ち時間は不安で慣れません。😿

どうかまた皆さんのパワーを送って下さい。

良い結果を聞きせっせとリハビリに励み、1日も早く職場復帰したいです。

皆さんにお会いして、「ママ、良く頑張ったね。」と褒めてもらう為に頑張ります。。笑

今年も本当に本当によろしくね。

すっぴんでウィッグ