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Author: もあママ

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芦ノ湖にて

長い冬休みを頂き本日PM7:00から営業再開です。

ながぁ〜い。笑

皆様のご来店を心よりお待ちしております。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

年末か3が日の間に母に面会に行きたいと施設に申し込んだのですが、皆さん考えは同じでなかなか予約が取れず今日やっと顔を見る事が出来ました。

営業再開は母に会ってからと決めていたので、こんなに長くお休みさせて頂きました、という事にしておきます。

面会はガラス越しで会話はマイクを使用、時間は10分間という短いものでした。それでも骨折後に車イス生活になった事を除けば顔色も言葉も笑顔も何ひとつ変わらない母で、私はホッと一安心しました。

母が私を完全に忘れたのはもう数年前になりますが、私を見る目に頭の片隅に何か感じるものがあるようだと思いました。

ガラスに人差し指を付けて私の輪郭をなどり、「色々つけてるね。」と言って笑い、「良い人そうだわ。」と言ってまたニコリ。

「そう?そう見える?良かったわ、大切に育ててもらったから。」

「あらぁ、そうなの。良かったねぇ。」母は何度もうなづきながらそう言いました。

10分はあっという間でした。

職員さんとエレベーターに移動してドアーが閉まるまで、私はずっと母の姿を見ていました。もしも母の歳まで生きることが出来たなら、私も母の様になりたいと願いながら。

今も頑張ってるよ、お母さんは。

ずっと頑張ってきた事も私は知ってる。

だから私も頑張るよ。

何が起きても最後まで頑張るから。

店内・マスターと

新年あけましておめでとうございます。

良いお天気に恵まれ穏やかな年の始めをお過ごしの事と思います。

昨年は沢山のお客様がご来店下さり、「ママ、頑張ったね。」と労って下さいました。

数年ぶりにお会いした皆様は以前と何もお変わりなく、優しいお声掛けに一瞬で長かった苦難の月日を忘れることが出来ました。

休業を余儀なくされた数年間がまるで嘘の様に店内が笑い声に包まれ、私は心の底から幸せを実感しました。

本当の幸せや大切なものは本当の苦労の後にしか見えない事を、私はこの歳になって初めて知りました。

私の自慢はお客様方です。

私は1日も早く病気に打ち勝ち笑顔を絶やさず、今後も精進して参ります。

今後とも末永くお付き合い下さいます様、どうぞよろしくお願い致します。

今年も皆様のご活躍とご健康を心よりお祈りしています。

店内にて

日の短さや夕焼けの美しさ、朝夕の冷え込みや街路樹の色づきに秋を感じる季節になりました。

皆様、お元気ですか。

書くべきか黙っていようかと長い間悩んだのですが、お会いすれば直ぐにバレてしまうし既にお気づきの方もいらっしゃると思うので、皆様に知っておいて頂こうとやっぱり書くことにしました。

自分の身体がどこか変だと感じながら、それが確信に変わったのは2年半ほど前のことです。和食のお店に行った時、激しい動悸と共に指が震え始め私は目の前のお箸を持つ事が出来ませんでした。日に日に震えは全身に広がり、動悸に合わせて息をして話すため声まで震えるようになりました。

慌てて検査をした結果、私の病気はストレスによる本態性振戦というものだとわかりました。本態性振戦って?

ネットで調べて、私は初めてこの病気で苦しんでいる方の多さを知り驚きました。

先生は、「辛い事をご家族に話せたら良いけど出来ないのかな?1つひとつ問題がクリア出来ると良いね。それまでは薬で抑えよう。この薬で良くなった患者さんもうちにはいるからね。常習性はないし、接客前にお酒を少し飲んでおくのも良いよ、リラックス出来るからね。ただ人によってはボンヤリしたり眠くなる人がいるから飲む時間だけは気をつける様に。」と。

最近何度も転ぶのはお薬のせいだったのかもしれません、という事にしておきます。笑

私の1番のストレスは終わりの見えないコロナとお店の未来です。報道の通り、コロナ禍で世の中は大きく変わりました。やっと念願の営業再開だというのに街は静まり返り、何をどうすれば良いのか考える余裕もなく耐えるだけの数か月が過ぎた頃、施設から母が原因不明の骨折で緊急搬送との連絡が入りました。留めはマスターから検診で異常が見つかり手術する事になったと聞かされた事。電話でその報告を受けたその瞬間に、私の心がパンッと大きな音を立てて砕け散りました。ストレス3本立てです。

先日、マスターが無事に手術を終えて復帰してくれました。気のせいかマスターは入院前よりよくお喋りし、よく笑うようになりました。

ストレスをやっと1つ、クリアしました。

まだ症状は目に見えて改善されていませんが、ピークは脱したと良いように勝手に思い込む事にして、お薬をあてに開店直後からちびちびお酒を飲み、いつも真っ赤な顔で水割りを作っています。ピーク時はサービス精神も意欲も無くし見られる事が苦痛で俯いてばかり、誰か助けてと叫びたい思いでした。今でも時々アイスがどこかに飛んでいきますが、私は平然とお客様の前に座っています。震えていたって歌も唄うしお話もします。私が生を感じるのはここにしかないからです。隠れていたくありません。

最近は完治しなければドリフターズのもしもシリーズで志村けんさんが小料理屋のお婆さんになってたでしょ?宙吊りになって奥から飛んで来て長さんにお酌するコントがあったじゃない。あれしかないかもねと娘と話して笑えるようにもなりました。

私にストレスが降りかかるのは、生きているからです。

マスターがまだ痛い患部を押さえながら大笑いしています。時間を見つけては娘が大真面目な顔でYouTubeの編集をしてくれています。私には震えてるの?と心配そうに聞いて下さるお客様がいます。気づいても黙っていて下さる方もいます。

私は幸せ者です。本当にほんとうに幸せ者です。だから私を大切に思って下さる方々に感謝して、負けずに何とか頑張って頑張って必ず・・・

それでもダメなら一升瓶抱えて宙吊りでお酌します。

マスターが。笑

面白いと思うわ、その時は是非見にいらして下さいね。。

施設にて

日暮れも早くなり秋風が心地良い日もあれば汗ばむ暑さの日もあり、体調管理の難しい季節です。皆様、お元気でお過ごしでしょうか。

夏の疲れが出やすい時期です。呉々もどうぞお気をつけて下さいませ。

母が先週の土曜日に1か月半の入院生活を終え、リハビリテーション完備の施設に転居致しました。病院から施設までの10分間程を介護タクシーで移動したのですが、久し振りに母の隣に座りじっくり顔を見ることが出来ました。手を握ると力強く握り返してきて、両膝をマッサージすると嬉しそうにありがとうございますとお礼を言いました。期待はしていないけど、「お母さん、私はお母さんの娘よ。」と言うと母はにっこり笑って何度も頷きました。母はいつ頃からか、何を言っても何もわからなくても笑って頷く様になりました。母が私を忘れた日の寂しさは今でも忘れられません。でも母が今でもあの頃のしっかり者のままだとこの状況に耐えられるだろうかと、それを考えるとやっと私はこれで良かったんだと思える様になりました。

施設の方が、「お母さんにどの様に生活して欲しいですか?リハビリを頑張って欲しいとか、施設に望む事など何でも仰って下さい。」と言って下さり、私は、「皆さんお忙しいでしょうけれど、もしお手隙の時間がございましたらどうぞ母に話しかけてやって下さい。人が大好きな母なので。笑って穏やかに過ごせますように、娘としてただそれだけを願っています。」と答えました。  

他に何を望む事があるでしょう。

また会いに行くからね。

何度でも会いに行くからね。

お母さんが私を忘れても、私は忘れないから。

また足を撫でてあげる。

だから笑って何度も頷いて欲しい。

千葉にて

連日厳しい暑さが続いていますが、皆様お変わりございませんか。熱中症について調べていたら日差しを浴びた時に受ける熱や地面、建物、人体などから出ている熱のことを輻射熱(ふくしゃねつ)と言うのだそうで、文字を読んだだけで眩暈がしました。今年も夏を無事に乗り切れるかな、暑さに弱い私はそれがとても心配です。皆様もどうぞお身体を大切にお過ごしくださいませ。

皆さんは遠い昔の記憶がふとした瞬間に突然蘇る時ってありませんか?そういう時ってふっと笑える様な、そんな事ほど先に思い出したりしませんか?これって私だけなのかもしれませんがほんと不思議。。今日ぼんやりしていたら突然、亡くなった姉との小さい頃の1コマを思い出しました。

それは太陽がサンサンと照りつける夏休みの午後、姉が低学年の私を連れて小学校のプールに行った時のこと。

私はお水が怖くてカナヅチなのでプールにはただ浸かるだけ、姉が数人の同級生と楽しそうに泳いでいるのをそばで見ていました。そのうち退屈してプールサイドに腰掛けていたら、姉がプールから飛び出し青い顔して監視員の所に走って行って、「助けて下さい!妹が溺れています!!妹が沈んでいますっ!!!」って大声で。

その慌てぶりに私は、妹って私じゃないのかな〜?笑

姉が指差す方に監視員が飛び込んでプールの底から引っ張り上げた男の子は私の知る限りでは、姉達のすぐ後ろで馬鹿みたいに何度も潜ったり浮かんだりしていた男の子でした。

あの時の男の子のビックリした顔ときたら。

あの時の姉の泣き顔ときたら・・・

会いたい、もう一度だけで良いから。