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銀トリ日記

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病室にて

日毎に春めき、吹く風も心地よい季節になりました。

皆様お変わりございませんか。

先月の17日に再入院、19日に再手術を終え、お陰様で3月2日に無事に退院して参りました。

ご心配をおかけしましたのに、ご報告が遅くなってしまいごめんなさい。

昨年7月以来2度目の開腹という事で癒着があり長時間の手術だったそうですが、PET検査で再発は原発の直ぐ近くの1箇所と言われていた通りで完全に切除出来たと術後直ぐに報告を受けホッと一安心致しました。

また術前の予定より少し大きく開腹して隅々まで転移無しの確認後に閉じて下さったと聞き、先生方に出会えて良かったと心から感謝をお伝えしました。

手術翌日には歩いて病室内のトイレに行き、翌々日には看護師さんに見守られ乍ら病棟内をゆっくり2周歩きました。

その翌日には3周、次の日は1日に2度、そして3度・・・

7か月前に経験した大きなお腹の傷跡や痛みにはすっかり慣れっこでベッドの柵につかまりササっと起きる姿に、どの看護師さんも目をパチクリして驚いて、「大丈夫ですか?わぁ、凄い〜。」と褒めてくれました。笑

だけど大手術も傷跡も点滴も平気なのに朝夕2回の血栓予防の皮下注射が痛くて怖くてトラウマで。😭

「十分歩いてるし私は血栓は出来ないと思うよ。だからお願い、先生。これもう止めてもらえない?本当にほんとに嫌なんだけど〜。」って主治医に何度泣きついたか知れません。

毎日しつこく懇願していたら耐えられなくなったのか、先生は通常より1日早く止めてくれました。

今回も主治医の祐奈先生や大斗先生をはじめチームの先生達、沢山の看護師さんや関係者の皆さん、応援して下さる皆様に命を助けて頂きました。

頑張って手術を乗り越えたと思ったら早速今月末には1週間の入院をして新しい化学療法の再開です。

然もそれは最大2年間ほどの気の遠くなる様な長期治療だそうです。

私が頑張ってみたところでなる様にしかならない事はわかっていますし、頑張り過ぎるなと言って下さる方もいますが、頑張って気を確かに持たなければ2年間もの治療は私にはとても乗り越えられません。 

時々1人でいる時にとても残念になります、こんな事で時間を無駄にしている自分が。

社会から取り残されていると不安になって焦って、でもどうにもならない現状に途方に暮れる時があります。

でも私はまだ生かされています。

もう2度も皆さんに命を救ってもらえました。

いつまでも自分を悲しんで足踏みしているわけにはいきません。

諦めない先生方と絶対に良くなると信じてくれている大切な人達。

私は私の為に、先生達や大切な人達の為にこれからも頑張ります。

いっぱい泣いたら優しい人になれるでしょうか。

なれたら良いな。

深夜の美容室にて

名古屋のお客様が毎年送って下さる蝋梅の写真が今年も届き、もう1年経ったのかと年々早まる時の速さに驚きました。蝋梅はまだ花のない真冬から2月にかけて、そっと俯き加減に黄色い花を咲かせる控えめさから花言葉は、「奥ゆかしさ」「慈しみ」なのだそう。。

わ〜ぉ。

先週末、検査結果を主治医に聞いてきました。

前回のブログでリンパ節への転移の疑いが見られ再検査になったと書いたきり更新しなかった為、沢山の方にご心配をおかけしてしまいました。

ごめんなさい🙇‍♀️

皆様には絶対にお見せ出来ない私だけの秘密の時間が必要でした。笑

予想通り、私の癌細胞は転んでもただでは起きないしぶとい私似で、あんなにキツい抗がん剤の後半戦にはしっかり生き残る術を身につけていました。

癌が赤く映るというPET検査の結果、主治医のPCに映った私の左閉鎖リンパ節は赤色でした。

幸いにもそれ以外の遠隔転移は見られないとか血管外科医の立ち会いで摘出手術可能など、その後続く主治医の説明を私はどこか他人事の様に聞いていました。(これは一喜一憂しては結局願い叶わず何度も傷ついて身に付けた、私独自の保身術です。)

2月に再手術、その後回復を待って新たな治療の開始だそうです。

遠隔転移がなかった事は嬉しいこと、転移した癌細胞を摘出出来る事も嬉しいこと、でも目に見えない癌細胞は残ってる?

それって一周回って去年5月頃に戻ったって事なのかな。

無限ループにハマってる。笑

ま、いっか。

ぐるぐる回ってるならそれはそれで。

癌に罹患してから良いことも悪いことも、勉強になることもならないことも沢山学びました。

その中で当たり前だけど知らなかったことの1位は、病気や治療に対していつも前向きでいられるわけがないという事です。

初めは頑張っていた私ですが早々にギブアップして、辛い時は我慢せず思い切り辛がる事にしました。

辛い気持ちを少し話したい日もあれば、1人で泣きたい夜もあり最近は家族が、「どうして欲しい?」と聞いてくれるようになり随分楽になりました。

弱虫な自分が情けないという思いが加算されて余計に落ち込みますが、それでも次の頑張りの為にとても大事な落ち込みの時間なんだと知りました。

一旦落ち込まないと、辛い治療の途中で必ず息切れします。

そして立ち直り始めてからの私の反動力は凄いです。

2番目に、癌になったら1人でも多くの信頼する皆さんの力が必要だという事です。

生かそうと頑張ってくれる医療関係者を始め、閉店後に深夜まで残ってウィッグを整えてくれる優しい美容師さんまで、皆さんの力が私を励まし支え生かしてくれていると感じます。

これからも私は1人ではとても闘えません。

いつも感謝しています。

ありがとうございます。

また復帰が遠のきました。

とても残念です。

寒い日が続きます。

皆様、呉々も風邪にお気をつけてお過ごし下さいませ。

病院にて

先日8か月ぶりに、勇気を出して母に会いに行ってきました。

自分の母親なのになんて親不孝な奴だと思われるでしょうか。

昨年の5月に癌と告知された時に施設に簡単に事情を説明して、「暫く会いに行けないけれどどうか母をお願いします。」と言ったきり私は1度も母に会いに行っていませんでした。

私を娘と認識出来なくなった母ですが、私はどうしても母に癌になってしまった姿を見せたくなかったのです。

母に申し訳ない気がして。

手術が終わって退院したら行こう、抗がん剤が始まる前に行こう、終わったら行こう、元気になったら行こう・・・でもいつまで経っても私は元気にはなれませんでした。

抗がん剤4回目が終わった後に、『なんか良くなっている気がしないなぁ。』とふと思った事がありました。

そんな事を思ったら良くなるものも良くならないと必死で自戒しましたが、その予感は打ち消しても打ち消しても消えませんでした。

もう1回で抗がん剤治療が終わると言いながら、治療が終了した年末も大して嬉しくありませんでした。

そしてお正月明けのCT検査の結果は転移の疑いあり。

やっぱり、でした。

今は更に詳しく検査をして来週末の結果発表を待っているところです。

悪い予感ってどうしてこんなに当たるのでしょう。

元気になったら行こうと思っていた私ですが、それがいつになるかわからなくなったので母に会いに行ってきたというわけです。

母は8か月前と変わらず元気でいてくれました。

私を誰かわからないけれど全然知らない人ではないなという様な微妙な顔をして見ました。

「握手しよう。」と言って母の手を握ると、何故か母は私の手や腕を撫で始めました。

子供の頃から母は私が疲れていると必ず、「俯せになってご覧。背中を押しておげる、楽になるから。」と。

それを思い出して私は堪えていた感情が吹き出して・・・

娘が、「お婆ちゃん、私も撫でて。」と手を出したのですが、母は娘の手を一瞬握ってポイッ!笑

また私の目を真っ直ぐに見て手を撫で始め、それは面会時間が終わるまで続きました。

まるで母がわかっているよと言ってくれている様で、大丈夫だと励ましてくれている様で、

「お母さん、私、癌になってしまったわ。ごめん。お母さん・・・助けて。」

娘ほどの若い先生が、「転移していたらですが良く効く薬があります。良く効いて完治した方もいます。」と言ってくれました。

私は先生が私を家族の様に思い最良の治療をして下さっていると信じています。

ここが私の頑張りどころなんだと、不思議な事に癌に罹患して初めて今、私は強くそう思います。

また不安と恐怖と孤独に押しつぶされそうになり涙が止まりませんが、何度突き落とされても私は必ず立ち直り闘い始めます。

もう直ぐ復帰と思ったけれどどうなるでしょうかのお知らせでした。🙇‍♀️

御代田にて

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します🙇

今年は元旦から悲報続きで心穏やかなお正月とはならず、寒さがことのほか厳しく感じられます。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

数年前に1週間ほどかけて車で愛知、福井、石川、富山と旅をしました。

私はその時が初石川県で母から輪島塗りの食器を譲り受けていた事もあり、旅のメインを石川県に設定して他県より長く滞在しました。

金沢市内を楽しんだ翌日、車は輪島朝市通りから能登半島、そして和倉温泉へ。

半島一周の途中で立ち寄った珠洲市塩田村の塩ソフトクリームは絶品で、今でも我が家が旅先で食べたご当地ソフトクリームの不動の1位、忘れられない味になりました。

帰宅してから何度も旅の記録を写したビデオ鑑賞をしては、「またあの塩ソフトクリームを食べに行きたいね。だけど能登半島は遠かったよねぇ。」と懐かしく話していました。

揺れが落ち着き震源地は何処だろう?とテレビをつけたら、見覚えのある街並みの変わり果てた姿が映し出されショックで固まってしまいました。

そしてその翌日の羽田の事故。

こんなお正月は初めてです。

東北の地震から数年後に、車で被災地をぐるりと周りました。震災中から落ち着いた頃に被災地を訪ねたいと思っていて、やっと念願が叶った旅でした。目についたお店というお店に入って行ってワカメを買ったり海苔を買ったり手を合わせたり。

たったそれだけしか出来ませんでしたが、それが私の気持ちでした。

石川県にもまた必ず時間を作って行こうと思います。

昨年は私にとって苦難の年でした。サービス業の端くれとして、ここでは話したくない辛い事が沢山起きました。

でも私は何故かまだ生きています。

生きている事が当たり前だった毎日が突然終わった時、その意味や理由を何度も探しました。

そしてわかった事。

私は私の生に意味が欲しいだけで元々理由は何もなく、私はたまたま産まれてきて生き存えているのだという事。

私はたまたま産まれてきましたが、今生き存えているのには理由があります。

私には辛い時に辛いと正直に話せる家族や医療関係者や大丈夫だと支えてくれる友人や、回復を待っていてくれる人が傍にいます。

励まし合って一緒に生きて行きたい人が沢山います。

1日も早く元気な私に戻って今度は私が、「あの時はありがとう、大丈夫だからね。」と言う番です。

私が今も生きているのは孤独ではなかったからです。

今、年末に6回目の抗がん剤治療を終えて火曜日に各種検査を済ませ、金曜日の検査結果を待っているところです。

何度経験してもこの待ち時間は不安で慣れません。😿

どうかまた皆さんのパワーを送って下さい。

良い結果を聞きせっせとリハビリに励み、1日も早く職場復帰したいです。

皆さんにお会いして、「ママ、良く頑張ったね。」と褒めてもらう為に頑張ります。。笑

今年も本当に本当によろしくね。

すっぴんでウィッグ
強羅にて

年の瀬を迎え寒さ身に染みる季節になりました。

今日のお天気で富良野がマイナス22度になっていて、マイナス22度の想像が全く出来ずただ驚いてしまいました。

5月に立ち寄った富良野チーズ工房や白樺の木立、大丈夫かな。

皆様、お元気ですか。

12月1日に5回目の抗がん剤治療を受けました。投与3日目頃から出る副作用は前回までの後遺症に今回の分が蓄積され、涙が出るくらいキツいものでした。

私はかなり忍耐力があり余程の事でもない限り弱音を吐かない我慢強い人間だと思っていましたが、今回ばかりは超、超、ちょう弱虫でした。笑

横になっていると耳の近くで、「1番痛い時を10とすると今は?」と看護師さんに聞かれる錯覚を起こしてムカついたり、毛布を被って愚痴りまくりのキレまくりでした。

それでも、「10とすると?」9はいつの間にか6に6は4になっていき、ベッドよりソファーの上にいる時間が日に日に増えていきました。

青色吐息でやっとの思いでここまで回復しました。

それなのに明日は6回目の治療です。

ガァ〜ッ!!😭

でも残り1回です。

後1回〜♫です。

今回を耐えれば、予定の6回の抗がん剤投与からは解放されます。

長く生きてきて、今まで色んな経験をしてきました。

物心ついてからの私の経験の殆どは私に選択の主導権がありました。沢山の失敗を経験しましたがそれは納得の自己責任で、済んでみれば良い経験だったと言えるものばかりでした。

ところが今年の私の経験は・・・

ある日目覚めたら突然目の前にドッカ〜ンと巨大な岩が落ちてきて、アタフタしながら何処かに楽な抜け道はないかと探していたら、「じたばたしてもだめですよ。ピッケルをあげるから頑張って登るか、何もしないか、どちらかしかないですよ。でも早く登らないとヤバいですよ。」と誘導する天の声?がしてビビって慌てて登り始めた感じです。

初めは断崖絶壁に見えた大岩は意外と緩やかで、「脅かさないでよね〜。」なんて言っていたら段々とんでもない急斜面になってきて、急いでポケットからピッケルを取り出したら、“なんじゃこりゃぁ、ちっちゃ。”みたいな。

下りはどうなってるの?とか登らなければヤバくて登ると楽勝なの?とか、色々聞いてみたいのにあれきり天の声?はピタッと聞こえません。

今年の私の経験は成功なのか失敗なのか、いつか良かったと思える日が来るのか、それは私にはわかりません。

求めた意味や結果は登り始めて直ぐにもしかしたらないのかもしれないと思えて、答えを探すのはやめました。

私は小さなピッケルを片手に握り締めて、仕方なく。

周りを見渡す余裕もなく無様に打ちのめされて、それでもまた立ち上がる私をただ誰かに見ていて欲しくて。

これが年内最後のブログになると思います。

アップ後に、「ママ、ごめん。ちょっと笑ってしまったわ。」とお返事を下さる方が数名いらっしゃるのですが、そう言って頂けると何だかとても嬉しいです。

今年も大変お世話になりました。

いつもブログを読んで下さる方に、

メッセージを送って下さる方に、

静かに見守って下さる方に、

お店を訪ねて下さる方に、

留守を守ってくれるマスターとアコちゃんに、

家族と親族に、

私に関わって下さる全ての方に心から感謝を。

ありがとうございました。

皆様、どうぞ良い年をお迎え下さい。