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銀トリ日記

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私・娘・店内にて

昨日はとても寒い日でしたね。特に夕方からは霙混じりの雨が降り指先が悴むほどでした。

霙混じりの雨が降り始めた時、私はタクシー乗り場に立っていました。いつもなら混み始める前にタクシー乗り場に行きさっさと出勤するのですが、昨日は準備に手間取り出遅れてしまいました。乗り場にたどり着いた時はもう長蛇の列でした。

私の前の団体さんの、「こんなに待った事ないよな。」という話し声が聞こえてきました。

タクシーは通るけれど既に人が乗っていて、列はいつまで経っても縮まりません。

目の前を都バスが通り、1番先頭の団体さんがバス停目掛けて走って行きました。それから暫くして次の団体さんも諦めてバス停に移動して行きました。今度はバス停が長蛇の列になりました。また1組抜け2組抜けて、私の前は1組だけになりました。

雨が益々激しく冷たくなってきました。

遂に残った1組もバス停に移動、タクシー乗り場は私だけになりました。

5分ほど過ぎたその時、反対車線に空車のタクシーが。

ダッシュ‼️

やった、乗ったぞ!逆向きだけど。

絶対に心変わりしないことに意味がある。

かな?笑

自宅にて

暑い時期はお休みしていたお店のおつまみの生チョコ作りを2週間前に再開しました。昨年あんなに何度も作ったのに1年経つとすっかり忘れてしまっていて、また1からです。スーパーに行き大量のチョコと生クリーム、果実やお抹茶、ココアやシナモンをたっぷり買い込み、5種類合計100個の生チョコを作りました。そして昨日はその第2弾、またまたチョコを爆買いしてきて追加で70個作りました。

売ろうかしら。

そんな私の隣で娘がお客様方に持ち帰って頂くお菓子を作っています。今年は手作りクッキーを焼いて皆様にお配りするのだそうです。いつになく真剣な表情をして、生地を丸めたり伸ばしたり丸めたり伸ばしたりしています。笑

「ママの生チョコの味は最高なんだけど形が悪いからね。形が良ければ最高なんだけどね。もっと丸く出来たら良いのにね。そこを研究した方がいいと思うよぅ〜。」って娘は私に言います。そんな簡単じゃないと言いたいところを私はいつも我慢しています。今日は娘が手伝ってって頼んできても絶対に手伝いません。

娘は3種類のクッキーを作るそうで、そのうちの1つはポッキーだと言っていました。ポッキーの先にチョコをつけるそうです。お菓子作りの中で1番難しいのはチョコレートだと私は思うのですが大丈夫でしょうか。

娘は簡単なクッキーから作り始め、それは信じられないくらいあっという間に出来上がりました。試食しています。美味しいみたいです。

ポッキーに取り掛かったようです。「お料理は爆発だ!」と言いながら生地を薄く長く伸ばしています。私が知ってるポッキーは丸くて細長い棒状で少し硬めのクッキーにチョコレートがついていますが、娘はナイフで細く切って焼くようです。

四角いポッキー。笑

焼きあがったようです。

また試食しています。

チョコを溶かしています。

四角くて長いポッキーを何故か5センチ程にカットしてしまいました。

短いポッキーにチョコを塗り始めました。

「これ難しいな。」と呟きました。

乾かしています。

なかなか乾かないと言っています。

「ココアパウダーある?」「あるわよ。」ココアパウダーをもっとくれと言ってきました。

ポッキーにココアパウダーって何なんでしょ。

5センチのポッキーを1つ摘んで高く持ち上げ下から眺めて、それを口にポイ。試食しました。

・・・かりんとう?   

「 味は美味しいわ。」って言いました。

ママのチョコと同じじゃない。

ななちゃんクッキーのタイトルは、『 冬の口どけ 』だそうです。

頑張りました。

喜んでで頂けると良いわねぇ。

 


  

店内にて

ほんの2、3ヶ月前にクリスマスケーキを食べた気がするのですが、早いものでもう年の瀬ですね。日に日に寒さが厳しくなり冬らしくなって参りました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。風邪をおひきになりませんよう、どうぞ温かくしてお過ごし下さいませ。

12月1日、銀座のトリルは開店9年目を迎えました。8年もの間お店を維持出来たのは、偏にお客様のお陰と感謝しています。お忙しい中いつも足をお運び下さいましてありがとうございます。今後も皆様に来て良かったと喜んで頂けるよう、スタッフ一同尚一層努力して参りますので、どうぞ末永くお付き合い下さいますようよろしくお願い致します。

昔から私はお誕生日会や周年記念など大袈裟な行事が苦手で、今年の記念日も例年通りどなたにも話さずいつも通りの営業をと決めていました。周年の数が増える度に目に見えない重圧や責任といったものが肩に重くのし掛かってきます。開店当初もプレッシャーで押し潰されそうでしたが、今から思えばあの頃はまだまだ脳天気な私でした。開店して1年が経った夜、ホッとしてよく眠れたことを覚えています。

偶然ですが12月1日へと日付が変わる瞬間に、私はカウンターの裏にある時計を見にお客様のお席を一瞬離れました。9年目を迎えたことを確認して後ろを振り返ると、お客様のパフォーマンスに店内は爆笑の渦でした。娘も声を出して笑っていました。マスターもグラスを洗いながら笑っていました。もしこんな夜に1人でお店の隅に座っていたらどれ程辛かっただろうかと、皆様の笑い声が有り難くて涙が出そうになりました。

先日あるお客様が、「良く頑張ってきたねぇ。トリルが出来た時に生まれた子供は小学3年生なんだね〜。あと3年すれば中学生になるんだよ。ママ、頑張って。」と言って下さいました。その瞬間にお店を持つまでの苦労や開店してからの思い出が蘇り、身体が小刻みに震えてきました。長く厳しい銀座生活でした。

私もやっと小学3年生です。もう3年したら中学生になります。私は高校にも、出来れば大学にも行きたいです。私は成人し、色んな苦労を乗り越えて立派な大人になりたいです。いつも支えて下さる皆様への感謝の気持ちを忘れずに、心に少し危機感を持って一歩ずつ前へ前へと進みたいと願っています。

今までありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します。

母・城ヶ崎にて

母に長い手紙を書きました。母は何かというと直ぐに手紙を書く人で、大学で自宅を離れた私の元にも月1ペースで送ってきていました。書き出しはちゃんと食べていますか?とかお友達とは仲良く出来ていますか?で、中身は父と自分の暮らしぶりについて、締めは元気で頑張る様に大体いつもこんな感じの変わり映えしないものでした。手紙を送っておいて直ぐに、「手紙送ったんだけど届いてる?」と確認の電話をしてくるのですから、青春時代を謳歌中だった私は最初から電話で良いのにと何度思ったかしれません。

母がどんどん私を忘れていきどこかの親切な人だとしか思わなくなった今頃になって、私は無性に母に手紙が書きたくなりました。今更、何を書いて教えようというのか、母はもう文字は読めても内容は理解出来ないかもしれないのに。それこそ何を今更なのですが。

書いた手紙を母に手渡すと母は、「手紙?私に?今読んで良いの?」って10代の女の子みたいに喜んで、丁寧に封を切り便箋を開くと声に出して読み始めました。私の書いた手紙は手紙というよりまるで母の説明文で、母は途中で何度も、「どうしてこんなこと知ってるの?」と聞いてきました。母が父の事業を手伝って一生懸命働いていた部分になると、「 そうだった。あの時は大変だった。楽しかったけどね。」と言って笑いました。最後まで読み終わると、「 ちょっともう1回読んでみようかな。いい?」と言って結局母は3回も読み返し、「そうそう。あの時は大変だった。楽しかったけどね。」って。

翌日、母がお世話になっている施設を訪ね陰からそっと母を見たら、ミッソーニを着たおばあちゃまと何かの話で盛り上がっていて、「そんなことしたら蹴っ飛ばされるわよ。」って2人で大笑いしてる。こっそり母の個室を覗いてみたら昨日の私の手紙がテーブルの上にポツリ。昨日、私がそこに置いて帰った。そのままの状態で。

母は今を生きてるんだ、小さな子供のように。人の心配ばっかりしてないで、あなたはあなたの事を一生懸命やりなさいよって言われた気がした。

小さな私の手を引いて前を歩いていた母に突然置いていかれたようで、寂しくて・・・

母・娘・伊豆にて

台風21号が西で猛威を振るったと思ったら今度は北海道の地震と、大きな災害が次々と日本を襲っています。いつそれが自分の身に起こっても不思議ではありません。被害に遭われた方々に1日も早く元の生活と心の安定が戻りますようにとお祈りしています。

先週から私は母の持ち物整理を始めました。まさか私がこんなにも母親の持ち物を触ることになるなんて思ってもみませんでした。母はいつまでも元気でいるものだとずっと思っていました。お恥ずかしい話ですが私は母の名前が本当は難しい方の字だった事をほんの数年前に知りました。賢くしっかり者の姉が亡くなり出来の悪い私が残ってしまうなんて、母はどんなに不安だったことでしょう。

少し前に真矢みきさんが痴呆症のお母様の事を書いている文章を読みました。お母様が真矢みきさんを娘だと認知出来なくなったという短い文章でしたが、娘としての辛さがよくわかって読みながら泣いてしまいました。私も母に、「他の事は全部忘れても大丈夫。だけどどんな事があっても私だけは忘れないように。」と声を掛け続けてきました。母はホッとした顔をして嬉しそうに、「 そう?忘れても大丈夫?あなたは私の娘!それは絶対に忘れません。」

でもそんな遠くないいつか、きっと母は私も忘れるのだろうと思っていました。

 数週間前、母を訪ねた日。私を見て母はこの人は良く知っている人だけど誰だったかな?という顔をしました。親そうに話はしていましたが母は最後まで1度も私の名前を口にしませんでした。私も母に私が誰だかわかってる?とは聞けませんでした。それはあまりにも突然にやってきて、現実を受け入れる勇気が私にはありませんでした。母に忘れられる辛さはどんな言葉に置き換えることも出来ません。

娘に手伝ってもらいながら母の洋服の整理をしていたら見覚えのあるスーツが出てきました。それは昔、私が母にプレゼントした物で母はよくそれを着てお友達と出掛けていました。「もうおばあちゃん着ないよね。」ってゴミ袋に入れて。

整理が終わる頃、私の気持ちも吹っ切れた気がしました。

私なんか忘れて良いし、忘れられたって母と私は何も変わらないんだし。

それよりしっかり最後まで頑張って。

痛いところがないと良いね、知らないうちに逝けたら良いね、お母さん。

 娘としてそれだけを願ってるよ。