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銀トリ日記

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店内にて

朝早く、母からの電話で起こされました。今日はお休みだから時間を気にせず寝ていられると思っていたけど甘かった。

「もしもしぃ〜」

「今から行ってもいい?顔が見たいと思って。」

これはおいでって言うしかない。笑

暫くしてやって来た母は私の顔を見て、「ごめんなさい。」って言って頭を下げて、「今日は朝からどうしたらいいか分からなくなって。これからどうやって生きていけば良いのか分からなくなって。何の役にも立てなくなってしまって。どうしたら良いだろう?」って。

母に温かい紅茶を入れた。

お土産で頂いた甘いお餅やチョコレートやビスケットも食べさせた。

「美味しい?」

「うん、美味しいね。このお餅、ほっこり甘くて美味しいね。甘い物は大好き。」「 じゃ、これも食べて。役に立ってるじゃない?残ってる甘い物、全部食べてくれるもん。」

「えぇ〜、そんな事で良いの?」

そんな事で役に立つって言ってもらえるなら喜んで全部引き受けると言って母は笑った。

母の好きなのど自慢が始まるとそっと私の横に来て、優勝者が決まるまで私の肩を揉み続けてくれた。

私も出来るかな。

80歳になった時、誰かの役に立てるかな。

顔が見たいって素直に誰かに言えるかな。

まだまだ元気に生きていかないといけない、母の為に。

店内にて

日曜日は『母の日 』でした。

どのお店にも母の日用のパッケージが並んでいて、それを見る度に私は娘に、「もう直ぐ母の日みたいよ。」笑

それを聞いた娘はいつもの昔話をポツリポツリ話し始めました。

娘は小学校の低学年でした。

母の日があると知り、お小遣いを貯めて近所の雑貨屋さんで私にプレゼントを買ってきてくれました。喜んでくれるだろうと思っていたのに、「ママはシャネルしかいらないの。」って私に冷たく言われ深く傷ついたのだそうです。

娘の話だけだと私は史上最悪の鬼親ですが、私自身はそんなことを言った覚えはありません。もし言っていたとしてもそういう意味じゃなく、大事なお金を使わなくても良いよ的な事だと思うのですが、娘は、「言ったんだってば!ママが言ったんだってば!あれは酷かった。」と譲りません。

お馬鹿ちゃんだったからなぁ、娘は。笑

「で、ママは何が欲しいの?会社の先輩のお母様は高価なものじゃなくても喜んでくれるみたいよ。」

あらそ?ママは現金がいいわ。」

「現金って。あのねママ、お祝いじゃないんだから。」

ちぇる・自宅にて

私のゴールデンウィークが終わってしまいました。本当に5日間もあったかと思える程あっという間に終わってしまいました。

私が何時に寝ようとお構いなしに、毎朝5時にちぇるに叩き起こされる毎日でした。

賢いとは思っていましたが1日も時間がずれる事はありませんでした。

それにしてもどうしてちぇるは娘を叩き起こさないのでしょうか。不思議です。お休み中にじっくり観察したところ、娘の傍に行ったのは娘が帰宅した時だけでした。笑

娘が朝食をとっている間にお洗濯物を干して、出勤準備している間にお掃除をして、出勤したら夕食の準備までちぇるとゆっくりまったり過ごしました。幸せな時間でした。

もし娘の収入が沢山あって、「私が働くから、ママはうちの事やってね。」って言ってきたらどうするか考え始めて、あ!

ないな。爆

それよりこのぶどうパン、どうしようかなぁ。

賞味期限が今日までって書いてあるけど、炭水化物ぬいてるしなぁ。

ちぇる〜、ちぇるならどうする?

私・自宅にて

春だから奥の方に仕舞い込んだ花柄のお洋服を着てみることにしました。

ダメだ。笑

この前まであんなに良く似合っていたのに全然似合わない。

膝上10センチも頑張ってます感があり過ぎる。だけどシックな物を着ると婦人会の親睦旅行みたいになってしまう。

ぎゃはは。

何を着てもなんか違う、難しい年頃になってきました。

何も似合わないのは顔色が良くないせいかもしれないと、娘にエステを頼みました。遊びに来ていた母もやってもらい、最後に並んでパック。こんな皺くちゃのお婆ちゃんにパックなんて勿体ないって言いながら、母はまんざらでもなさそうでした。白塗りになった顔でキョロキョロ、私と娘を笑わせたいみたいでした。

バカ殿か!笑

母は今、私の隣にいるのだからどうしているかと心配する事はない、そう思った瞬間に眠ってしまいました。

「お婆ちゃん、もう洗い流して良いよ。」っていう娘の声で目を覚ましたら、バカ殿が娘に連れられて洗面所に移動中でした。携帯を開いたら娘からラインが届いていて・見ると私の写真が・・・。母と同じバカ殿の私が写っていました。

なんて穏やかで温かい休日。

店内にて

あの衝撃的な津波の日から6年経ったそうです。数寄屋橋交差点のソニービルの壁面に、大きな防災広告が掲げられたのは数日前の深夜の事でした。目にされた方も多いと思います。

あの日の津波は16.7mだったのだそうです。広告にはその位置に赤い印が付けられていました。意味のある広告だと思いますが私は1度見ただけで胸が苦しくなり、それ以降は見ていません。

私の親族は誰も被害を受けていないのにこんなに心が痛いのですから、被害に遭われた方はどれ程辛い思いをされただろうかと思います。

大切な方を亡くされた方々に心からお悔やみを申し上げます。

せめてあの日を忘れられる一瞬が早く、少しでも多く訪れます様にとお祈り致します。