銀トリ日記


昨日はとても寒い日でした。特に夕方からは霙混じりの雨が降り、指先が悴むほどでした。何をまたママがオーバーな事を・・・と思われるでしょうか。 実はその霙混じりの雨が降り始めた頃、私は出勤の為タクシー乗り場に立っていました。いつもなら混み始める前にタクシー乗り場に行きさっさと乗り込むものを、昨日の私は出掛ける準備に手間取り出遅れてしまいました。そこにたどり着いた時はもう長蛇の列でした。冷たい雨のせいか、忘年会シーズンのせいなのか・・・。

前の団体さんの、「  こんなに待った事ないよな。」って声が聞こえてきました。こんなに待った事ないって何分なの?と、その時の私はまだ余裕がありました。それにしても通り過ぎるのはお客さんを乗せているか、迎車ばかり也。。目の前を都バスが通ったと思ったら、1番前の団体さんがバス停目掛けて走って行きました。それから10分程して、次の団体さんもバス停に移動して行きました。バス停だって長蛇の列なのに。1人抜け2人抜けて、私の前は1組3名だけになりました。

雨が益々激しく冷たくなってきて、私の可愛い手が悴み皺くちゃになったのはその頃でした。前の団体さんも遂に諦め都バスを追いかけて走って行き、私は1番前になりました。私は諦めたりしませんよ、諦めるという事が1番嫌ですからね。いくらウエルカムだからって、都バスになんか絶対に乗りません。それに昨日はバックの他にお酒を入れた重いキャリーと、傘までさしてたんですから。

あんな満員バス。笑

それから10分・・15分・・・どこから情報を仕入れたのかタクシー乗り場には誰も来ず、私はずっと独りぼっちの1番前でした。そしてやっぱり走り過ぎるタクシーは嬉しそうなお客さんを乗せてるか、迎車ばかり。あの人達は何が嬉しくて笑っているのでしょう。

すると反対車線に・・・向こうのはるか向こうの向こうの方から空車のタクシーがっ!

私、ダッシュ‼️

走った、やった、乗った!

逆向きですけど。爆

暑い時期はお休みしていたお店のおつまみの生チョコ作りを2週間前に再開。昨年あんなに何度も作ったのに一年経つとすっかり忘れてしまっていて、また1から出直しです。スーパーに行って大量のチョコと生クリーム、果実やお抹茶、ココアやシナモンを買い込み5種類、合計100個の生チョコを作りました。そして昨日はその第2弾。またまたチョコの爆買いに出掛け、合計70個作りました。

売ろうかしら。爆

 そんな私の隣で娘がお客様方にお菓子を作っています。今年は手作りクッキーを焼いて皆様にお配りするのだそうです。いつになく真剣な表情をして、生地を丸めたり伸ばしたり丸めたり伸ばしたりしています。笑

「  ママの生チョコの味は最高なんだけど形が悪いからね。形が良ければ最高なんだけどね。もっと丸く出来たら良いのにね。そこを研究した方がいいと思うよぅ〜。」っていつも娘は私に言います。それって最高じゃないって事だよね?って言いたいところを私はいつも我慢しています。だから今日は娘が手伝ってって頼んできても絶対に手伝ってやる気はありません。3種類のクッキーを作るそうで、そのうちの1つがポッキーだと言っていました。ポッキーにはチョコがついています。お菓子作りの何が難しいって、チョコレートの扱いだと私は思うんですよね。  

娘は1番簡単なクッキーから作り始めました。それは信じられないくらいあっという間に出来上がりました。試食しています。美味しいみたいです。そしてポッキーに取り掛かったようです。「  お料理は爆発だ!」と縁起でもないことを口走りながら生地を薄く長く伸ばしています。私が知ってるポッキーは丸くて細長い棒状の少し硬めのクッキーにチョコレートがついています。が、娘はナイフで細く切って焼きました。  

丸めんのか〜い。  

焼きあがったようです。また試食しています。チョコを溶かしています。四角くて長いポッキーを5センチ程にカットしてしまいました。(?)チョコを塗り始めました。「  これ難しいな・・・」と呟きました。乾かしています。なかなか乾かないと言っています。「  ココアパウダーある?」って聞いてきました。ココアパウダーをもっとくれと言ってきました。5センチのポッキーを1つ摘んで高く持ち上げ眺めています。あ、また試食した。   

・・・かりんとう?   

「  味は美味しいわ。」って言いました。 

形は良いのね。爆   

娘作、タイトルは、『   冬の口どけ  』だそうです。頑張って作っていました。是非、お召し上がりになってみて下さいませ。     

 


  

ほんの2、3ヶ月前にクリスマスケーキを食べた気がするのですが、早いものでもう年の瀬ですね。やはり12月、日に日に寒さが厳しくなり冬らしくなって参りました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。風邪などおひきになりませんよう、どうぞ温かくしてお過ごし下さいませ。

12月1日、銀座のトリルは開店9年目を迎えました。8年もの間お店を維持出来たのは、偏にお客様のお陰と感謝しています。お忙しい中いつも足をお運び下さいましてありがとうございます。今後も皆様に来て良かったと喜んで頂けるよう、スタッフ一同尚一層努力して参りますので、どうぞ末永くお付き合い下さいますようよろしくお願い致します。


昔から私はお誕生日会や周年記念など大袈裟な行事が苦手で、今年も例年通り、どなたにも話さずいつも通りの営業をしていました。経営者になり周年の数が増える度、喜びや安堵は少しずつどこかに消え代わりに危機感が増していきます。8年経って、私も経営者の端くれになってきたということでしょうか。開店当初もプレッシャーで身体が押し潰されそうでしたが、今から思えばあの頃はまだまだ脳天気な私でした。開店して1年が経った夜、ホッとして嬉しくてよく眠れたことを覚えています。

偶然ですが11月30日から12月1日へと日付が変わる瞬間に、私はカウンターの裏にある時計を見にお客様のお席を一瞬離れました。9年目を確認して後ろを振り返ると、お客様のカラオケパフォーマンスに店内は爆笑の渦でした。娘も声を出して笑っていました。マスターも下げたグラスを洗いながら、やっぱり笑っていました。もしこんな夜に来客もなく、1人でお店の隅に座っていたならどれ程辛かっただろうかと。皆様の笑い声が有り難くて有り難くて・・・。

あるお客様が、「   良く頑張ってきたねぇ。トリルが出来た時に生まれた子供は小学3年生なんだね〜。あと3年で中学生だね。ママ、頑張って。」と言って下さいました。その瞬間にお店を持つまでの苦労や、開店してからの8年間の思い出が蘇り涙が溢れそうになりました。

私はやっと小学3年生です。もう3年したら中学生になります。私は高校にも、出来れば大学にも行きたいです。私はそうして成人し、色んな苦労を乗り越えて立派な大人になりたいと願っています。いつも支えて下さる皆様への感謝の気持ちを忘れずに、危機感を持って一歩ずつ前へ前へと進みたいと、そう願っています。

ありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしく。  

母に長い手紙を書きました。

 

 

昔から何かというと母は直ぐに手紙を書く人で、大学で自宅を離れた私の元にも何度も便りが届いたものでした。当時の私の頭の中は新しい生活への期待しかなく、母からのそれはかなり面倒くさいものだったけれど。

 

 

最近になり母が時々私を忘れ、どこかの親切な人だとしか思わなくなった今になって、私は無性に母に手紙が書きたくなったのです。今更、何を書いて教えようというのか。それこそ今更・・・なのですが。

 

 

母は、「 手紙?私に?今読んで良いの?」って10代の女の子みたいに喜んで、嬉しそうに声に出して読み始めました。私の書いた手紙は手紙というよりまるで母の説明文で、母は途中で何度も、「 どうしてこんなこと知ってるの?」と聞いてきました。母が父の事業を手伝って一生懸命働いていた件になると、「 そうだった。あの時は大変だった。楽しかったけどね。」と言って笑いました。最後まで読み終わると、「 ちょっともう1回読んでみようかな。いい?」って、結局母は3回も読み返して、やっぱり、

 

 

「 あの時は大変だった。楽しかったけど。」

 

 

ってまた同じところで笑って。

 

 

翌日、母がお世話になっている施設を訪ねてみました。陰からそっと母を見たら、ミッソーニの服のおばあちゃまと何かの話で盛り上がってる。「 そんなことしたら蹴っ飛ばされるわよ。」なんて大笑いしてる。

 

 

母の部屋を覗いたら、昨日の私の手紙が封筒に入ってテーブルの上にポツリ。昨日、私がそこに置いた、そのままに。

 

 

母は今を生きてるんだ。小さな子供のように。

 

 

「 人の心配ばっかりしてないで、あなたも一生懸命やりなさいよ。」って言われた気がした。少し寂しくて、涙が出そうになった。置いていかれたようで、涙が・・・

 

 

台風21号が西で猛威を振るったと思ったら今度は北海道の地震。息つく暇もなく大きな災害が次々と日本を襲っています。予期できない事って恐ろしいですね。被害に遭われた方々に1日も早く心の安定が戻りますように、お亡くなりになられた方、ご家族の方々に心よりお悔やみを申し上げます。

 

先週から私は空いた時間を割いて母の持ち物の整理をしています。まさかこんなに母親の物を触ることになるなんて、母の名前を書き肌着の1枚1枚に縫い付けることになるなんて、数年前の私は思ってもみませんでした。母はいつまでも元気で、私の助けなど必要ないと思っていました。お恥ずかしい話ですが私は、母の姓名は本当は難しい方の字だった事をほんの数年前に知った情けない娘です。

 

少し前に真矢みきさんが痴呆症のお母様の事を書いておられました。お母様が真矢みきさんを娘だと分からなくなってしまったと・・・。短い文章でしたが思いが手に取るようで涙が出ました。私も段々物を忘れていく母に、「 全部忘れて良いよ。大丈夫だから。だけどどんな事があっても私だけは忘れないように。」と声を掛けてきました。その度に母はホッとした顔をして嬉しそうに、「 そう?忘れても大丈夫?あなたは私の娘!それは絶対に忘れません。」って。でもそれほど遠くないいつか、きっと母は私も忘れるのだろうと思っていました。

 

数週間前、母を訪ねて玄関を開けた私を見て母は、“ この人は良く知っている人だけど誰だったかな。” という顔をしました。結局、その日母は最後まで1度も私の名前を口にしませんでした。私も、「 私が誰だかわかってる?分からなくなった?」とは聞けませんでした。あまりに突然で、ついにきてしまった現実を受け入れる勇気がありませんでした。母に忘れられる悲しみは、どんな言葉に置き換えることも出来ません。

 

3日前娘に手伝ってもらい、母が1人ではもう着られなくなった洋服の整理をしました。ボタンが沢山付いているスーツを着ていた頃、母はまだスーパーに買い物に行っていました。ファスナーの細身のパンツは、遠くまで1人で散歩に出掛けていた頃の物。フォックで留めるカーディガンは我が家にフラッと遊びに来ていた頃の物。それらを1枚ずつ手にとって、「 もうおばあちゃん着ないよね。」って捨てて。残った物はどこも締め付けないシンプルな物ばかり。

 

まるで今の母のよう。

 

私はやっと吹っ切れて。

 

私なんか忘れて良いよ。そんな大事な事じゃないから。忘れられたって何も変わらない。それよりしっかり最後まで頑張って。痛いところがないと良いね。知らないうちに逝けたら良いね。

 

それだけを願ってるよ。