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ママのぽわぽわ銀トリ日記♪
病室にて

花火が夜空を彩る頃となりましたが、皆様ご機嫌いかがでしょうか

昨日主治医より許可を頂き本日7月27日(木曜日)退院の運びとなりました。2週間ほどの入院期間と聞いておりましたので18日の手術日から今日で何日目?と毎日カレンダーを指差し数えておりましたが、急に明日退院と知らされ今朝は5時前から起きてゴソゴソと病室の清掃と荷物の整理をしておりました。😆

私は超のつく神経質でどなたとも同室不可で、持ち出し覚悟の個室での10日間でした。毎食時間通りにお食事がテーブルに置いてあり、食事を済ませ歩行訓練を兼ねて配膳室にトレイを戻している間に、おばさん2名がお掃除とシーツ交換を手際良く手分けしてやってくれました。最後にパリッとプレスされたシーツの上に真四角に畳まれた今日のパジャマとタオルが2枚ずつセットしてありました。前半は痛みで気絶しているか意識が朦朧とした余裕のない状態だったので、毎日そんな風にしてくださっていたことに気づいたのはつい4日ほど前の事です。ありがとうございますがたった4回しか言えず、申し訳ない気持ちになりました。

小学2年生で扁桃腺の手術をしました。とても痛い手術で術後は何も飲み込めず辛かった記憶があります。入院はたった5日間だったと思いますが、母が来てくれるのを毎日心待ちにしていてドアーが開き母の顔が見えると涙が出ました。

30代の時は胆嚢炎になり、腹腔鏡手術をしました。死ぬかというほどの激痛が背中に走り病院に駆け込むと直ぐに手術となり入院はたった3泊でした。お腹を切るわけじゃないし1人で行ってくると出掛けたのに、手術が終わり病室に戻ると姉が待っていてくれて嬉しかった事を覚えています。

そして今回、私にとっては初の開腹手術、然も7時間の大手術でしたが、コロナ禍ということで面会は禁止、勿論付き添いも禁止でした。術後、病室に戻る一瞬だけ顔が見れると看護師さんが教えて下さったそうで、家族が近づくと私は、「これでやっと泣ける。」と言ってポロポロ泣いたそうです。私が?本当でしょうか?!全く記憶にございません。。

大きく開腹した為にどう工夫してもお腹に力が入らず、考えて考えて1センチ単位でそろりそろりと体を動かすのにとても苦労しました。やっとの思いで寝転んでホッとしたら掛け布団がつま先の向こうの方にあったり、枕が中途半端にお尻の下にあったりして。。情けなくて悔しくて天を仰いで喚こうと何度思ったことか知れません。こんな時に家族がいて顔を覗き込んでくれていたら・・・。早く元気になるんだと前向きに頑張ってやっとの思いで1日を終えたのに、人間ってこんなしょーもないことで心がボキボキに折れるものなんですね。

お話ししたい事は山のようにありますが、先ずはお世話になった医療関係者の皆様に、お礼を申し上げます。ありがとうございました。

そしてご心配を頂き温かい励ましを下さった皆様に心から感謝と、当初の長時間の手術を乗り切り無事に帰宅する目標をクリア出来ました事をご報告致します。ありがとうございました。

今後も体力回復に努め、1日も早く元気になった姿を見て頂けるよう頑張り続けるつもりです。

熱中症アラートが何度も発令されています。皆様も十分な水分と睡眠を摂り呉々もご無理なさいませんようお気をつけてお過ごし下さいませ。

葉山にてチェルちゃんと

『いつも明るくサバサバしたママでいたい』

長年そう思ってやってきたので、病気になった事は皆様には本当は秘密にしておきたかったです。

入院や手術の日程が決まった翌日にマスターに自宅まで来てもらい家族を交え、今後お店の営業はどうするか、お客様に何をどうお知らせすべきかについて話し合いました。

「店舗のリフォームって事にしたらどうかな?例えば地中の水道管工事とか、それなら入院の間だけ2週間臨時休業でも変じゃないでしょ。」と私。

し〜ん・・・

術後直ぐに社会復帰出来ればいいけど具合の良くない日もあるかもしれないよとか、もし抗がん剤治療があればキツくて仕事にならないんじゃないかとか、内緒にしとくとママが後々辛くなるんじゃないかとかetc・・・色んな意見がありました。私は話し合いの最中に何度も、お笑い芸人さんが問題を起こすと何を言ってももう笑えないと誰かが言っていたのを思い出して、私ももう笑ってもらえなくなるんじゃないかと心配ばかりしていました。

それより何より公表すれば皆様にご心配をおかけしてしまうだろう、きっと皆様は励ましのメールを下さるだろう、私の様なものにそんな事で貴重なお時間を使わせてしまう、それが申し訳なくて中々公表に踏み切れませんでした。

それでも折角お店までいらして下さったのに入り口に『臨時休業のお知らせ』の張り紙1枚では、もっとご迷惑をおかけする事になる。そう考えて苦渋の選択で最終決定を行いました。

公表の当夜から沢山の激励のメールを頂きました。中にはお会いしたことのない方もいらして、こんな方も私のブログを読んでいて下さっていたのだと驚きました。どなたのメールも温かく力強く、個性的でした。😆

お一人お一人のお顔やお声や会話を思い浮かべながら、私は絶対にこの病気を克服して今より元気に明るくなり、1日も早く復活して笑いを取るぞ〜と心に誓いました。

皆様、本当に本当にありがとうございました。

皆様の励ましを胸に、またお会いできる日を楽しみに頑張ります。

毎日蒸し暑い日々が続きますが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
今日は私にしては珍しくちょっとだけ真面目でちょっとだけ長いお話をアップさせて頂きました。
最後まで読んで下さりご理解を頂けたら嬉しいです。

実は私、癌になりました。

やっとコロナの行動規制が解除され通常営業が出来るようになり、少しずつ懐かしいお客様方がお顔を見せて下さり、新客様との出会いも増えてきて、さぁ〜これからと張り切った最中の告知でした。
私は姉を胃癌で亡くしており姉の死を教訓に毎年欠かさず検査を受けていましたが、コロナ禍の3年間は感染を恐れ病院から足を遠ざけていました。
今更ですが、私は何を怖がっていたんだろうと悔しい思いが何度も頭を過りました。

それでも日を追うごとにもしかしたら癌というのはそういうものなのかもしれないなぁと思うようになりました。
いくら用心していても欠かさず検査を受けていても、癌は突然何の前触れもなく誰のところにでもくるものなのかもと。
私の癌も例外ではなく、突然やってきました。

5月に少し長めのお休みを頂き、生まれて初めて北海道に行きゆっくりぐるっと左側を旅してきました。大自然に感動し美味しい食べ物に感動し、行く先々で地元の方との面白いエピソードが増え元気に帰宅してきました。
早速ブログにアップしよう〜と考えていた矢先の土曜日の早朝、お腹に不快感を覚えおトイレに行ったら不正出血。「あ、これはダメなやつかも。」
それが私と癌との出会いでした。

月曜を待って近所の検査機関に駆け込み痛くない検査と痛い検査と血液検査をしてもらって辛抱強く待つ事2週間。
マーカーは異常な数値を示しており女医さんの診断は子宮体癌の疑いというものでした。
「紹介状を書きますので詳しく検査をしてもらって下さい。○○大学と○○大学、○○病院のどちらにしますか?」
「どちらと言われても・・・あのぅ〜、早く見てもらえる病院はどちらですか?」笑

翌日、紹介状を持って選んだ大学病院に行き、痛い検査や痛くない検査、血液検査とCTをしてもらい、またまた待つ事2週間。
「子宮体癌ではないかと、ステージはおそらく1ではないかと思われます。この画像を見る限り転移はしてなさそうです。次はMRIを受けてもらいますね。それでもう少し詳しくわかると思われます。」

思われます?

翌週にMRI検査して、また2週間。
先生は画像を指差しながら、「カメラが届かなかったここ、この部分がそうではないかと思います。これを見る限り転移はなさそうですね。」
「先生、私はやっぱり癌なんですか?」
「手術してみないと決定は出来ませんがマーカーの数値と画像では子宮体癌だと思われます。ステージは1aか1b、来週全身麻酔で組織を取って検査を行いますがそれで更に詳しくわかると思われます。」

思われます?

また検査するの?とか、また待たされるの?とか、こんなにあれこれ検査をしても疑い止まりの病名なのかとか、最初の検査から既に1か月以上はゆうに経っていて癌なら進行するんじゃないかとか、色んな不思議や苛立ちや不安に落ち込みそうになりながらただ耐える毎日が続きました。
気になって有明がんセンターのHPで1度だけ、子宮体癌について調べました。
それ以降は余計な情報まで知って自ら不安にならないよう癌関連の物は一切見ない読まないと決め、結果待ちの間はクスッと笑える動画やブログを読んで過ごしました。

この精神的に厳しかった時間はきついものではありましたが、私に色々なものを気づかせてくれる為の貴重な時間だったと思います。
自分にとって大切な物は何なのか
私はどういう人間なのか
これからどう生きたいのか
いつもは普通だと思えるもの全てに意味があり、普段は見落としがちなものがはっきり見えた時間でした。
特にお店は嫌なことを忘れさせてくれる唯一の場所でした。
夕方に準備を始め出勤する、私にとっては何十年も変わり映えしない毎日ですが行かなくてはならない場所がある、それがどれほど支えになったか。お客様がいらして下さること、それがどれほど私を救って下さったか、とても言葉には出来ません。

ありがとうございました。

金曜日に最後の検査結果と現段階で分かる範囲での病状と手術の日程や内容、入院や術後に関する説明を受けてきました。
18日からいよいよ待ちに待った治療が始まります。
やっと治療して貰えるとホッと胸を撫で下ろしています。
手術後の検査で初めて正しい病名やステージや術後の治療法が決まるということですが、先のことはその時に考えることにして、先ずは6時間の手術に備え、先生や看護師さんの言うことをちゃんと聞き2週間の入院を乗り越え無事に帰宅することだと思っています。

長く重いブログになってしまいました。
ごめんなさい。

【お知らせ】

7月14日(金曜日)PM7:00〜深夜までは通常通り営業致します。
7月17日〜8月1日まで臨時休業させて頂きます。  
8月2日(水曜日)PM7:00〜通常営業致します。
尚、私は8月2日〜暫くの間は体調を見ながら出勤させて頂くことになると思います。

皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますがよろしくお願い致します。

暑さ厳しき折、皆様も体調をくずされませんようお元気でお過ごしくださいませ。

大好物の空やもなかとマスター

今朝お店を閉めてタクシーが自宅前に着き、車を降りた私の頬に温かい風が当たりました。その瞬間に、「あ〜、春なんだなぁ。」と・・・。

私はやっと真っ暗な細くて長いトンネルを抜けた様な気持ちになれてホッとして、何年か振りに1度も起きる事なくお昼まで熟睡出来ました。

姉が亡くなる少し前の事です。ベッドの淵に腰掛けて姉の痩せ細った脚のマッサージをしていたら、「辛いことが起きるともうこれ以上苦しい事はないだろうと思って生きてきたけど、まだあったわ。」と辛そうに呟きました。

私は撫でる手を止めて。

それなのに返す言葉が何も見つからず黙ってしまいました。母親似の姉は決断力に優れ、いつも前向きで強い人でした。優柔不断でだらだら過ごす私にとって、姉は羨ましい存在でした。そんな姉の弱った言葉に何をどう言えば良かったのかと今でも時々考えてしまいます。

最近少し早目に出勤して、もう何百回、もしかしたら何千回、通い続けた街を歩いています。職種は違うけれどそこで一生懸命に働く人達を眺めています。

頭から肩に、肩から腰に、腰から足の指先にまで思い切り力を入れていたのかな。

目に入る風景や忘れて良い事まで、全部覚えておこうとしていたのかな。

もうそろそろ自分を解放してあげないと。

だらだらで良いよね。

また苦しい次があるなら。

私は私で良いよね。

これからも生きていかなきゃいけない。

ヒルトンにて

名古屋のお客様が、マイペースで頑張れと励ましのメッセージと山桜のお写真を送って下さいました。エールを送らなければいけないのは私の方なのにと反省しかけて、「あ!でも私っていつも皆さんに励まされる方だった。いつも通りだわ。」と笑えてきて、少しずつ私は私を取り戻し心が柔らかくなっていると胸を撫で下ろしました。時は残酷で優しいものですね。

残酷といえば、昨日は私の誕生日でした。笑

沢山の方からお祝いのメッセージを頂き、覚えていて下さった事に感激致しました。ありがとうございました。昨年、深く傷つく出来事が私に降りかかった事を知り、ご心配のお電話やメールも沢山頂きました。未だ完全には問題解決に至っておらず今は母の事としかお話出来ません。ご心配を下さり重ねて感謝申し上げます。ありがとうございます、そして何も話せずごめんなさい。

自分ではそれを頑張って心の奥深く閉じ込めていたつもりでしたが、家族には見破られていたのか・・・気分転換に行こうとこの連休は軽井沢ヒルトンに誘ってもらい連泊していたのですが、食事とお風呂以外は座ると睡魔が襲ってきて寝てばかりでした。起きている時も暑いだの寒いだの、美味しいだの不味いだのと意識朦朧で文句ばっかり言ってたような・・・

「ドライブに行かない?」

「行かな〜い。寒いもん。何でここはこんなに寒いの?」

「軽井沢だからね。雪降ってるし。」

「暑くない?このお部屋、暑すぎない?」

「そう?暖房つけてるからね。切ってみる?」

「う〜ん・・」

「切る?切ると凄く寒いと思うよ。」

「そなの?じゃ、いいわ。暑いけど。」

ごめ〜ん、ごめんごめんごめ〜ん。笑

受付ロビー前で寝ようとする私